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『蛇にピアス』

2004年02月25日

蛇にピアス』 金原ひとみ,集英社

蛇にピアス

遅ればせながら,話題作を読みました。「文藝春秋」誌上で読んだので,綿矢氏の作品も後で読んでみます。

倒錯した愛情とか,激烈な感情とか,あるいは閉塞した状況といった相当に主観的なモチーフを,その埒外にいる他者に表現するという作業は至難の業であるけれど,それを生業とするのが小説家を初めとした芸術家の役割だとすると,この作品は,(芥川賞受賞作品としてはともかく)小説として一応読めるモノように思います。

ただ,この作品をそういった表現物として捉えるとき,読み手である私たちは,この作品に,従来のようなレトリックを駆使する方法論を期待すべきではありません。そういう方法を期待して読むには,本作品はあまりにも語彙に乏しいし,レトリックもひどく稚拙なもので,とても読めた作品ではありません(中高生の日記作文かと思った)。作者が意図してそういう文体にしているのか,あるいは本当に語彙的な能力に欠けているのかは定かではないけれど,また,「レトリックを捨象してもなお残るものがあるのか」と問われて「是也」と即断することもできないけれど,とにかく,この作品で(見方によっては)枝葉末節たる表現方法を云々するのは,逆に野暮な感じを覚えます。

本作品は,ピアス等々でする「身体改造」が主題になっています。ピアスの捉え方は人によって様々でしょうけど,私は,「身体改造」による「身体性」の回復という視点で読みました。ここで「身体性」というのは,端的に言えば「生きている実感」といったものだといっていいと思います。身体を改造する(傷つける)ことで身体性を回復するというのは,一見矛盾するようですが,こういうことは,「女房が出てって女房に惚れる」みたいなもんで,よく言われることです。リストカットもそういう次元で行われていると聞いたことがあるけれど,ともかくそんな感じです。

もっとも,よく言われることは,芸術家が言う必要はありません。そこで,本作品を改めて読んでみるに,ここに表れる「身体性」というのは,物理的なそれよりもう少し広くて,人間相互のコミュニケーションも含んだ広い概念のようです。相手との関係を「所有(S)」と「被所有(M)」の関係として捉えるところや,主人公が最後に「愛の証」を飲み込むシーン,さらにはしつこい程に出てくるセックスシーンを考えると,本作品の主人公にとって,充実した人間関係は何よりも「生きていること」の証明であるかのようです。そのように読むならば,ピアスを通じて関係しあっている人間同士が,「人間らしく生きる」ことを模索する様子を端的に描いている,と評価できなくもありません。深読みし過ぎでしょうか。

他方,ピアスというのは,オトナが眉を顰めるといった意味で目立つ反面,付けた者同士では一種のコミュニティを形成する作用があるようで,「人とは違う,でも一人ではない」みたいな不安定な緊張関係があるのも確かです。作者の年齢を敢えて考慮に入れるなら,そういった他者と自我とのあいまいな境界で,「根拠のない自信」だけを頼りに生きる年代を表現しているようにも思えます。作中を通じて,主人公の目線で物語が進行することを考えると,むしろそっちに重点を置くべきでしょうか。そう読むと,古風でピュアな青春物語ですね。

個人的には,内容にもっとノビシロがあったんじゃないかと思うんですけど,どうなんでしょう。

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[2004年03月10日 01:29] もう一つの受賞作 from じだらく
私はただの一般人で構わない。 ただ、とにかく陽の光の届かない、アンダーグランドの住人でいたい。 子供の笑い声や愛のセレナーデが届かない場所はないのだろうか。... [more]
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