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『蹴りたい背中』

2004年02月26日

蹴りたい背中』 綿矢りさ,河出書房新社

蹴りたい背中

えー……。読みました。

前作の『インストール』を読んでないので,どんな文体なのか知らなかったんですけど,文の端々にまで気を配った(読み手を意識した)丁寧な作品だと思いました。語呂がいいせいか,まるで一編の詩を読んでいるように,ズルズルと引き込まれていく感じです。

ちょっと死相が出てた。ちょっと死相が出てた。

なんてところ。かなり好きです。

「蹴りたい」ってのは,初め,うじうじしていて薄気味悪い,それと同時に自分によく似た男子高生を,自分に見立てて「蹴りたい」と言っているのかと思ってました。おそらく,そういう意味でも使われているんでしょうけど,これはラストにも表れている通り,愛情を通り越した一種の「支配欲」の裏返しとして読むもののようですね。大好きなペットが肉球をいぢられて,困った顔をするときに湧いてくるアノ感覚です。あ……,やってるの私だけですか。

高校時代の春から夏にかけた時期は,対人的に結構しんどい時期で,実質的な人間関係よりも先に,形式的・制度的な人間関係の方が,上回ってしまう時期だったように覚えています。「友達100人……」とかいった文句が脅迫に聞こえるような空気の中で,ぎくしゃくと動いている人間関係は,空しくもあり,また逆に滑稽であったりもしました。

そういえば,高校生の頃,先生が,「おまえらが学校にいるのは,昼間に悪ガキが町中をのさばらないように,『収容』しているからなんだよ」なんて言ってたけれど,これは強ち嘘でもなくて,何の脈絡もなく集められた人間が制度に従って生活する世界というのは,収容所そのものです。「被収容者」には,形式的な関係しか残らないわけで,うまく立ち回って人間関係を構築しようと努力している人の姿は,やはり滑稽です。

本作の主人公は,そういった空気を白けながら(時には,絶望したり,取り込まれそうになりながら)眺めつつ,そこから外された男子高生への心情を,「変なやつ」から「気になるやつ」そして(私の読み方だと)「愛すべき所有の対象」へと変えていきます。形式的・制度的な「好き」「嫌い」といったコトバと,実質的な「蹴りたい」という感情がうまく対比されているのにも,構成を意識している様子がうかがえます。

全体的に,主人公の微妙な心理描写に長けているし,構成もしっかりしてるしで,よくできた作品だと思います。ただその反面,この緻密さが仇になって,お上品に小さくまとまってしまった感があるのも否めません。その意味で,共感できる読者は若い人に限られてしまうんじゃないか,と思ったりもします。ここら辺は好みなんでしょうけど,「芥川賞」を冠するからには,もう少し冒険してもらいたかった気もします。

『インストール』も読んでみようかな。

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