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『母性社会日本の病理 』

2004年05月27日

『母性社会日本の病理』(河合隼雄,1976年,中央公論社)

母性社会日本の病理

家にあった本を何となしにパラパラと眺めていたら,面白くなってついつい全部読んでしまいました。上には中央公論社を出版元にしていますけど,これはもう絶版になっているようです。現在は,講談社プラスアルファ文庫から出ています。

この頃,「勝ち組・負け組」だとか,「自己責任」だとか,「大人になりきれないオトナ」だとかいった言葉をよく聞くけれど,そういう言葉を読み解く方法としてとても有益だと思いました。20年以上も前に書かれた本なのに,まるで今現在のことを書いているかのようです。

本書は河合隼雄氏の文章をまとめた論叢になっています。それぞれ興味深くて面白いんですけど,ここでは書名と同じ論文である「母性社会日本の病理」を紹介することにします。

本書は,日本社会に根深く浸透している「場の倫理」ひいては「母性社会」を分析することで,現代社会の問題(といっても70年当時の問題だけど)を読み解こうというものです。

「場」というのは,人間関係の在り方みたいなもんです。「場の空気」とかいうときの「場」と同じような意味だと思います(多分)。著者は,日本社会が必要以上に「場」を重要視するために,構成員の個性や自立的な認識が希薄になることを指摘します。

他方,「母性社会」というのは,「場」によって人間どうしを「結合し包摂する」反面,「個人を捕って食う」社会という意味で使っているようです。「母性」やら「父性」やらって言葉は,論者によってまちまちですけど,ここでは,共同体的でウェットな自我を作るシステムという意味で「母性的」なわけですね。もちろん,河合氏はユングな人なので「母性社会」の裏付けも,もっぱら原型論に依っています。

以前読んだ他の文章では,「父性」を家父長制と同一視しているようなものがあったけれど,本書によると家父長制は母性社会の最たるモノのようです。

ところで,こういった母性社会においては,「場」というものが決定的に重要な価値概念になります。「場」を乱す人は毛嫌いされるし,「場」から外(さ)れる人──今の言葉だと「負け組」とかいうんでしょうか──は,全人格を否定する方向に力が働きます。

そもそも,「負け組」って何に負けてるのかよく分からない言葉ですけど,「共同体から外された」あるいは「共同体の主流に乗っていない」という意味で理解するとよく当てはまるような気がします。そう考えると,「負け組」みたいな概念は,母性社会特有のもので,父性的でドライな社会では,勝っても負けてもどっちだっていいことになりそうですね。

本書の概念はいろいろな場面に適用できるんでしょうけれど,私はついこの前法律になった「裁判員制度」の話を思い出しました。裁判員制度というのは,市民が裁判に参加するというアレのことです。

ああいう制度って,裁判員それぞれの自我が確立しているということが社会的に機能するための前提になるんだと思います。刑罰権の存否を判断するのに,「場の倫理」みたいなややこしいものが入っていたら,たとえ被告人が正当な権利(これはとてもドライなモノ)を主張していても,曖昧に否定されるということがありそうだからです。

例えば,凶悪殺人犯の審理で被告人が違法捜査を主張したとしても,「お前がそんなこと言うな」みたいに言われちゃったりして……(裁判員は実体審理だけだっけ?)。ともあれ,裁判員制度が裁判になるのか,それとも私刑の延長になってしまうのかといった問題は,このような観点から理解できるような感じがします。

一読したところ,「母性原理」とか「場の倫理」とかいった概念は,現代でも十分通用する道具のように感じました。文章も読みやすくてお勧めです。

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