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『蛇を踏む』

2004年06月23日

蛇を踏む』(川上弘美,1996年,文芸春秋)

蛇を踏む

近頃,図らずも,芥川賞な作家ばかり読んでるわけですが……。

本書には,受賞作である『蛇を踏む』の他に,『消える』と,『惜夜記』の2作品が所収されています。どの作品も不思議な世界を醸し出していますけど,個人的には『消える』が楽しめました。そんなわけで,エントリの表題にもかかわらず,ここでは『消える』の紹介をば。

本作品は個人的には大好きな部類に入るんですけれど,好みは分かれると思います。その冒頭……

このごろずいぶんよく消える。

に惹かれるかどうかで,その先に進めるかどうかが分かると思います。私にとっては「つかみはオッケー」(死語)な書き出しでした。いわゆる不条理文学なるものに慣れ親しんだ(というか,どっぷり浸かった)向きには,「またこの類かよ」みたいな感想があるかもしれません。

『消える』については,主題を滔々と語ると野暮になると思います。作品と一緒にその世界に漂うのが,無難でかつ楽しめる作法じゃないでしょうか。無責任ですけど。

全体に卒がない文体なので,「団地」やら「家族」やらといった言葉は,あたかも私たちが知っている「団地」であり「家族」であるように錯覚してしまうところです。けれど,本作に現れるそれは,既知のそれとは違う別の何かであって,読み手としては「団地」を「団地のようなもの」のように,ぼかして読む必要があるように思います。

例えば,あくまでも例えばの話ですけれど,「団地」を「国」と置き換えても意味が通じるような感じがするし,「家族」を「人間一般の内面」と読むこともできるような気もします(曖昧だなぁ……)。口に出すと野暮になってしまうのが,この作品の歯がゆいところです。

私は,ついこの前『母性社会日本の病理』を読んだせいか,共同体的なモノのありかたという風に読みました(ほら,野暮になったでしょ)。

作中に登場する「上の兄」は,冒頭でいきなり消えてしいます。もっとも,消えてはいるけれど,主人公の前には度々現れます。つまり,「いるけどいない」状態なわけで,そのようになるかならないかは,この世界にある曖昧でへんてこなしきたりや風習に適応しているか,といったところに原因があるようです。それを踏まえて,なんで消えちゃったのかと考えると,いろいろと想像力が膨らむんじゃないでしょうか。

本書のあとがきには,

「うそ」の国は,「ほんと」の国のすぐそばにあって,ところどころには「ほんと」の国と重なっているぶぶんもあります。

とあります。筆者の「ほんと」の国が果たしてどんなものなのか……知りたいところです。けれど,少なくとも,読み手として読後に味わう独特の感覚は,「ほんと」のこととして存在するように思います。

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