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人付き合いのエンジン

2004年09月21日

大学時代からの友人が,めでたく就職することになったということで,東京は上野でおめでとう会がありました。面子は,法学部在籍当時,刑事訴訟法ゼミで一緒だった仲間です。

「就職」が集まるきっかけだったからか,それとも,そろそろそういう歳になったからなのか,「進路」とか「人生」とか,それなりに重い話題で盛り上がっていました。こういうネタって,いわゆる「オヤジの愚痴」に通じているんでしょうか……まぁ,楽しいならどっちでもいいんですけどね。

その中で,話題に上ったものが,彼女さんと付き合うノウ・ハウでした。あたしは,人付き合い一般の話として聞いていたんですけれど,「他者との付き合い」というのは,やはり難しい問題があるようです……。

一般に,友人でも恋人でも,人付き合いをするときの「核」として据えられるのは,「価値観」なる言葉のように思います。芸能人の離婚記者会見なんぞを見ていると,「お互いの価値観が違っていた」なんて文句,よく聞きますもんね。

ただ,この言葉の中身をよくよく見てみると,大抵の場合,言葉のあやというか比喩の要素が多いような気もします。「価値観が違う」というのは,「価値観」なるものが個々人にあって,人付き合いするときに「ぶつかり合っている感じ」あるいは「すれ違っている感じ」を指しているんでしょうけれど,それほど確固とした「価値観」なるものを持っている人というのは,現実にあまりいないんじゃないかと思うからです。

一方,価値観が「違う」ことが人付き合いを破綻させる原因になっているとした場合,逆に,価値観が「同じ」なら「うまくやっていける」ということになりそうです。けれど,現実に自分と同じ考えの人と付き合うのは,むしろ,相当に難しい感じがします。もちろん,最初のうちは,話も合うだろうし,同じ話題で盛り上がれるでしょう。けれど,そのうちネタも尽きてきます。お互いのことを知り尽くしていると,もっぱらその関係の「外部」に人付き合いの根拠を求めがちになります。もし,その関係を続けようと思ったら,絶えず外部の刺激に頼らなくちゃいけなくなるように思うわけです。

そう考えると,人間関係は,むしろ「価値観が違う」人どうしの方が,うまくいくような感じがします。相手に残っている自分と違うところを,自分の価値観に照らして追い求めるのが,「人付き合い」のように思うわけです。他者との「差異」が,人付き合いの動力源(エンジン)といってもいいかもしれません。

別れるきっかけというのは,そのエンジンが止まってしまうことで,それは,相手との「差異」に興味を持てなくなったときのように思います。「価値観が違う」といった文句も,つまるところ,相手が自分と違うことに,つまらなさや無関心を感じていることを表しているんじゃないでしょうか……。

もっとも,その差異が大きすぎることへの絶望感や徒労感が,エンジンストップの原因だったりすることもあるんでしょうけれど……。

なんだか,酔いに任せて適当なことを書いてしまった気も……。下戸なあたしは,二日酔いが当日に来ます。ガンガン響く頭を抱えて,今日はそろそろ寝ることにします。

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