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きれいな死体

2005年01月25日

『死んだ人、生き返る』小中学生の15%…長崎県調査」 (YOMIURI ON-LINE)

記事が短いので,具体的なところは分かりませんけれど,これだけを読むと次のようなシナリオを描くことができそうです。「佐世保の加害少年も,人は生き返ると思っていたはずだ。彼女は死に対するリアリティに欠けていたために,平然と陰惨な殺人を犯してしまった……云々」。けれど,長崎の事件は,報道すら事前のシナリオが見え隠れしているので,そのまま加害少年の心境と重ね合わせて見るのはちょっと危険だと思います。

今回の調査では,児童がテレビやゲームの影響を受けていることが,垣間見られたそうです。たしかに,ゲームではキャラクターが死んでも,リセットボタンを押せば,無傷でリプレイできるし,漫画の登場人物が蘇っても大した驚きはありません。もっとも,「死んだ人が生き返る」というのは,昔話にもあったわけで,それだけが児童の死生観に直接反映していると考えるとすると,いささか短絡的な憾みがあります。

例えば,怪我をしたときは,痛いし血が出るしで,多かれ少なかれ苦痛を体験することができます。だから同様のことを他人に対してしてはいけない,というのは「道徳」の役目なんでしょうけれど,とにかく,他人に危害を及ぼす前にまずその「経験」をすることが,他害を思いとどまらせる切っ掛けとして,大きな役割を果たしているのはたしかです。

一方で,死ぬことは,普通の人間は1回きりしか体験できませんから,死ぬことを直接体験することはできません。死生観を他害の足かせにするには,自分以外の「死」が決定的に重要になるんだと思います。まぁ……あちこちで言っていることですけど。

そこで考えてみると,身の回りに「死」を見ること自体が少ないですよね。仮に,「死」があったとしても,とてもきれいです。養老猛司の『唯脳論』にもあるとおり,平安時代は,都の中でも鳥辺山に運ばれない死体がゴロゴロあっただそうですから,えらい違いです。フーコーの『監獄の誕生』でも,冒頭で17 世紀末頃の処刑の場面が描写されていますけど,やはり「死」は身近なものだったようです。今はヒッソリ絞首刑……(死刑制度の是非は別として)。

もちろん,現在,日本でも死刑執行祭りをしろとか,街中に死体をゴロゴロさせろ,とかいうのは現実的な話じゃありませんね。ただ,少なくとも,「死」を表現する際に嘘を付いちゃいけないとは思います。リアリティの無い死は,「死」を追体験できないからです。痛いものを痛くないように見せたり,本来死ぬべき状況で死ななかったり,はたまた死んだ人が生きかえったりみたいなことがあちこちにあると,大人だって「死」を軽んずるようになってしまうかもしれません。

そういうわけで,一応,街中にある死体をば……(参照:「TrekEarth」)。鳩ですけど……。撮影者曰く、

Photos should not be only beautiful landscapes. They should transmit also the reality, without digital manipulation.

たしかに……。

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