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タコの育て方

2005年02月10日

Linux コミュニティがタコを大事にするって話は有名だけど,そもそもどこからそんな話が出てきたのか,気になってしまいました。というのも,次の記事を読んで,「タコ」を大事にするってのはどういうことなのか,疑問に思ったからです。

本文によると,タコというのは,「初心者あるいは無知であるがゆえにアホな質問や発言をする人」のことで,

UNIXコミュニティの達人や先達と呼ばれるような人たちも、すべてタコから始めて偉くなってきたわけだから、タコは仲間として大事にされた。(snip)ああ、なんと美しき徒弟制の世界よ。もちろん、タコから成長しないのもいたし、「教えてクン」としてダメ世界に墜落していくのもいた。でも、いずれにせよ、初心者をなんとか自分たちの仲間として認めうる水準にまで高めようという雰囲気があった。

ということだそうです。全体の論旨は,「ネットワークコミュニティも,Linux コミュニティのように『タコ』を育てる雰囲気を模範にしたらどうか」というもので,「タコ」それ自体とはあまり関係がありません。「タコ」のくだりは,あたしが読んでいて,部分的に気になっただけです。

たしかに,「タコは育てよ」とか「タコは財産」とかいった文句は,Linux コミュニティの間で格言として尊重されているようです。また,「タコ」というのは Linux 独特の表現だけど,トンチンカンな質問がコミュニティに投げられて(←あたしもやった),識者が答えるケースもよくあります。けれど,それが本文にいわゆる「美しい徒弟制」かというと……ちょっと疑問。

実際に誰が何を意図して「タコを育てよ」と言ったのかはともかく,この格言は「初心者を取り込む」といった意味で,とてもうまく機能していたように思います。ただ,「タコ」が多くを占めていなかったコミュニティの黎明期はまだしも,Linux を初めとしたオープンソースのコミュニティが爆発的に膨れあがった現在では,「育てる」ことを前提として「どう育てるのか」が問題になっているように思います。

こう書くと,参加者は有志で集まっているんだから「育てる」か「育てない」かは育てる側の自由だ,といった反論がありそうです。もちろん,一般に「タコは育てよ」というとき,この「育てよ」は義務じゃなくて,「育てるのが望ましい」といった程度なんだと思います。

ただ,一般的にはそう言えても,事実上「タコ」が増えすぎると,育てる際のイニシアティヴは「タコ」側に移動してしまいます。FreeBSD の ML で,識者が丁寧に教えているのに,「そんな冷たい言い方はないじゃないか」とごねる発言や,「こんな対応だと Linux に駆逐されますよ」と消費者団体調でいぢける発言をよく見るけれど,こういう発言がまかり通ってしまうのは,「育てる」際のイニシアティヴが「タコ」側に移っているからじゃないでしょうか。

仮に,「美しき徒弟制」だとすると,教え方を云々する権限は「タコ」の側にないはずです。けれど,事実上「タコ」の側にイニシアティヴが移ってしまっている。それなら,「育てる」ことを前提として「育て方」を考えなくてはいけないだろう,というわけ。消極的ですが……。

「育て方」というと,コミュニティの「育て方」を見ていて,「後は自分で考えろ」みたいな助言を目にします。あたしとしては,この助言はとてもいいと思っているんですけれど,質問者の側からすると気に障ることが多いようで,大抵トラブルになります。教える側としては,意地悪じゃなくて「全部教えたら育たない」という意図に基づいているはずなんですけどね……。

「育てる」側が試行錯誤しているのは毎度のようにうかがえるけれど,年を追うごとに「育てる」側と「育てられる」側が離れていく印象があります。「美しき徒弟制」といっても,この頃は手放しで礼賛できるものには見えないなぁ……というハナシ。

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