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『ハウルの動く城』

2005年02月21日

所用で横浜に行ってきました。用事は映画じゃなかったんですけれど,時間を作って映画館にも行ったんです。『ハウルの動く城』。周りの人間が,みんな観てしまって悔しかったので,絶対映画館で観てやろうと心に決めていたのでした。

感想からすると,「かなりよかった」です。あたしは,映画を観て泣くことはあまりないんですけれど,今回は涙腺がヤバかったです。ええ……歳とったというのもあるんでしょうけれど……。

まずもって,ストーリーが良かったです。この作品,あたしは是非とも家族で観てもらいたいと思いました。もちろん,恋人でも友達でも誰と観ても構わないんですけれど,家族で観た方が感じるところが多いんじゃないかということです。というのも,あたしにとっては,この作品が,家族をテーマにしているように思えて仕方なかったからです。ストーリーのアレコレはネタバレになるので,後に回しておきます。

次に,久石譲にもやられました。相変わらずきれいな音楽ですね。あの音楽,泣かせます。もっとも,出だしが「Quartet」のテーマ曲に似ていたような気も……気のせいかな。

というわけで,ストーリーにも音楽にもコテンパンにされて,帰って参りました。

(注意:これ以下はネタバレになってしまうので,「既に観た方」あるいは「ネタばらしてくれ」な方だけどうぞ。)

さて,『ハウルの動く城』。前評判では宮崎作品だけあって,好評が多数を占めていたようです。もっとも,他方では,消極的な評価も無視できない数あった様子……。消極的な評価というのは,概ね以下のようなモノです(参照:「ハウルの動く城 FAQ集」)。

  • 声優(倍賞が少女のときも年寄り声、キムタクが肝心なところで棒読み)
  • 説明不足(戦争原因、突然過去に戻る展開、唐突な王子に戦争を終わらせる宣言)
  • 戦闘シーンがない、クライマックスがない、カタルシスが得られない
  • 見終わっても心になにも残らない(胸をうつ要素がない)

さすがに,最後の批判はいかんともしがたいですね。感受性の問題ですから。でも,あたしの見方によると,他の3つは,やや明後日の方向を向いて批判しているように思います。あたしは原作を読んでいるわけじゃないし,宮崎駿氏から作品制作の経緯を聞き出したわけでもないから,あたしの見方が正しいとは言えないんですけどね(恐らく間違っているでしょう)。先に,「家族がテーマ」と言ったけれど,次のような見方をすれば,上の批判は特に気にする必要もなく楽しめるんじゃないでしょうか。

「家族」というのは,「ハウル」がお父さん,「ソフィー」がお母さん,「荒れ地の魔女」がお姑さんということです。存在感はあまりなかったけれど,子供やペット(犬)も揃っています。まぁ,作品中のハウルも,あの集まりを「家族」に見立てていたようだし,ここら辺は強ち外していないと思います。このことは,つまり戦争アニメでも魔法アニメでもないということです。そういう風に観ると,たしかに物足りないかも……。

まずは,お父さんの「ハウル」です。魔法使いのハウルは,戦争に駆り出されているわけですけれど,普通のお父さんと同じですね。毎朝会社に行って,一生懸命働いて,クタクタになって帰ってくる……。また,ハウルは戦地で怪物に化けて働いて(?)いるわけですけれど,それを見ている「ソフィー」は,いつしか怪物の姿から戻れなくなってしまうんじゃないか……そう心配しているのでした。こんなところも,巷のお父さんそっくりです。

しまいにはこのハウル,「守るものがみつかった」なんていう始末。ソフィーは「弱虫」のままでいいと思っているのに,怪物なってどんどん頑張ってしまいます。ハウルは結局怪物にならなかったけれど,怪物になっちゃった,いわゆる「仕事人間」は,巷に結構いそうですよね。ハウルが夫(恋人)として,あるいは家族の大黒柱として奮闘しているところが泣けてきます。空回りもしているようですけど……。

批判では,戦争の原因等々を云々していたみたいだけれど,あたしからするとハウルが「大変なところで働いている」くらいの意味付けがあればいいので,戦争の原因等々を持ち出したら逆に野暮になってしまいます。

次に,お母さんの「ソフィー」です。ソフィーは「90歳のおばあさんみたい」と言われただけで,実際の年齢はよく分からないんですよね……。映画を観ていて思ったんですけれど,どうやらソフィーは若くなったりおばあさんになったり,要所要所で年齢が変わっているようです。例えば,おばあさん役(?)である「荒れ地の魔女」と話すときは,介護のおばさん(50代〜60代)に見えるし,ハウルと甘い話をするときは20代くらいにも見えます。

あたしは女の人の気持ちはよく分からないんですけれど,想像するに女の人って状況によって心の年齢が変わるんじゃないでしょうか……。1人でたくさんの役をこなして,家庭のアレコレを微調整しているお母さん(というより女性)。そんな風に映りました。

ソフィーの声優が倍賞千恵子だったのが不評だったようですけれど,あたしは正解だったと思います。たしかに,若いソフィーの声にはちょっと違和感があったけれど,1人で複数の役回りをこなすには,若くて元気のいい声優,あるいはおばあさんの声しかできない声優じゃ困ります。ソフィーが,連続的にお母さんになったり,恋人になったり,お嫁さんになったりするように,声優も1人でたくさんの役回りをこなさないと意味がないんだと思います。

最後に,お姑さんの「荒れ地の魔女」です。彼女はハウルの心臓を食べたいと思って追いかけていたのでした。ラストで,ソフィーの願いを聞いて心臓を渡すシーンが印象的ですね……。お城の階段でソフィーと張り合ったと思ったら,ソフィーの相談に乗ってみたり,お姑さんとお嫁さんの関係ってのは,こういうもんなのかもしれません(結婚したことないから,分かりましぇん)。

そういえば,「ハウル」と一心同体の「カルシファー」は,お城の動力源なのでした。カルシファーがいなければハウルは生きていけない,ハウルがいないとお城が動かない,そういう関係です。家族を回していくのは,ハウルでありカルシファーだったわけですけれど,結末を観てびっくり。「ソフィー」が,カルシファーとハウルをお互い自由にしてくれたのでした。

案外,お父さんがいなくても,家族はまわっていくのかもしれません。……あれ?

改めて読み返すと,かなり自分勝手で,決めつけた見方ですね……。けれど,少なくとも言えるのは,この作品では「Aという状態からBという状態に遷移することを目的にしていない」ということです。むしろ,「Aという状態があって,その中身を掘り下げていく」感じです。

そういう意味で,この作品にはクライマックスなんて無くてもいいのかもしれません。「オチ」を求めて疾走する様子を楽しむのではなくて,それぞれのキャラクターが負っている「複雑な」事情を背景に,ギクシャクとはいえ回っている人間関係を楽しむ作品……そんな印象でしたから。

恐らく,観ている側は,それぞれに感情移入するんだと思うけれど,家族でみるとそれぞれ違いがはっきりするように思います。お父さんは「ハウル」,お母さんは「ソフィー」みたいに……。そんなわけで,家族で観に行くと楽しめそうだと思ったわけです。

忘れないうちに書いておこうと思っていたら,すごい分量になっちゃった……。全然まとまりありませんね(ごめんなちゃい)。

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