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無競争社会の子どもたち

2005年03月07日

電車に乗っていたら,某お受験塾の広告が目に入ってきました。

「無競争社会の子どもたちへ」

写真が見切れてちゃっててごめんなさい。結構勇気が要る位置関係だったもんで,ちゃちゃっと撮ったらこんなになっちゃいました。コピーの全部は,こう書いてあります。

無競争社会の子どもたちへ

なんとも,ドキッとさせるコピーですね。いくばかりか煽っている感じもします。この塾の広告は,いつもセンセーショナルなコピーと企業ロゴだけで構成してるんです。

広告に曰く,大体次のようなことが書いてありました。

現在の小中学校における教育環境は,5段階評価なるおおざっぱな評価しかしていない。社会では多様な能力が求められているのに,このままでいいのだろうか。いい意味での競争は,やはり必要である……云々。

思い出して書いたから,間違っているかもしれません。もっとも,「いい意味での競争」なるものが重要だ,ということはこのコピーの要のようだったので,脳味噌に刻み込んでおきました(そんな大袈裟なことでもないけど)。

あたしの場合,お受験なるものは受けたことがないんですけれど,お受験塾には通ったことがあります。「勉強したい」とか「いい学校に入りたい」とかいう動機は,本人はおろか親にすら微塵もなかったんですけどね(←「ちょっとは勉強しろ」ということで入れさせられた)。今思い出して感じることだけれど,やっぱりあれは「競争社会」でした。

ただ,一口に競争といっても,比べる対象の分だけ種類があるのが通常なわけで,競争の在り方も多元的だったりします。塾の場合はというと,当たり前の話ですけど「お受験」としての競争なんですね。

一方,塾には「お受験」としての競争があるけれど,小学校にもそれなりに競争があったことを覚えています。クロマティの物まねをする能力を持っている人や,カナヘビを見つけ次第捕らえられる能力を持っている人は,うちの小学校では英雄扱いでした。もちろん,そういう能力は「お受験」と関係ないし,(基礎)学力との関係も多分ないでしょう。勉強とカナヘビを同列に並べたくない気持ちも,あるっちゃあります。けれど,あの世代における「競争」を考える場合,こういう部分も競争として大切だと思うんですけど……どうなんでしょう(カナヘビしかできないのは,「ガリ勉」と同じわけですが)。「無競争社会」と言い切れるのかな,とも思ってしまいます。

もちろん,勉強よりもクロマティの方が大事だとか,塾でもカナヘビの捕まえ方を教えろ,とか言うわけでは決してありません。けれど,「無競争」との関係でいうと,大人がわざわざ競争の枠組みを作らなくても,それなりに多分野で競争してるんじゃないかなぁ……と思っただけの話です。

まぁ……そもそも塾の広告にカナヘビを持ち出すのも,野暮な話なんですが。

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