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妄想的裁判員制度考

2005年04月20日

刑事裁判『参加したくない』が7割 裁判員制度で調査」(アサヒ・コム

もう随分前の記事ですけれど,ちょっと考えたことをば。7割も「参加したくない」ってのは,予想よりちょっと多かった感じです。

長らく刑事司法制度は法曹三者の専売特許だったわけで,突然参加しろと言われても戸惑うのは当然だったりします。しかも,「参加できるもの」(権利)ではなくて,「参加しなければならないもの」(義務)だってんだからなおさら萎える,というのも理解できます。

他方で,裁判員制度は,裁判所を初めとした司法機関にとっても難儀なようです。ただでさえ膨大な事件を抱えている裁判所(特に都市部)は,余計に仕事が増えることになるし,検察官に対しても一般に分かりやすい立証活動が求められるからです。

それじゃ,なんだってみんなが苦労してまで裁判員制度を創設する必要があるんでしょう……。この制度,一見すると,とても非効率的な制度に見えてしまいます。つまり,「裁判に民主的な統制を及ぼすことは,たしかに大切なことだけれども,世の中分業で成り立っているんだから,みんながみんな直接裁判に関与しなくてもいいんじゃない?」みたいな意見が,えらくもっともに聞こえてしまうというわけ。

裁判員制度は,各国にある陪審制や参審制といった制度と微妙に異なる,日本独自の制度です。例えば,アメリカの陪審制(小陪審)と比べると,小陪審が事実認定と有罪・無罪の評決をするのに対して,日本の裁判員は,事実認定や有罪・無罪の評決はもちろん,量刑にまで関与することになります。

司法制度に対して民主的なチェックをするだけだったら,国民投票制度を実質化したりすることでも図れそうな感じがするわけですけど,多大なコストをかけて,市民が裁判に関与するしくみを作ろうと思い立ったのはなんでなんでしょう。

ここら辺の説明,いまだに浸透している感じがしませんね。

裁判員制度の目的は,おそらく,社会で起きている事件に対して市民が主体的に関わる仕組みを作ろうということなんだと思います(←直接アピールしているところが少ないもんで,よく分からんのです)。つまり,刑事事件の犯人に一定の「落とし前」を付けさせるとき,最も関わる必要があるのが,その犯人や事件をとりまくコミュニティだというわけ。職業裁判官は,コミュニティとの関係でいえば,ある意味「他人様」なんですね。投票等々で裁判官に「お墨付き」を与えるだけではなく,自分たちで事件を解決することに意味があるとすれば,(コストはともかく)投票等々の代替手段ではまかなえません。職業裁判官の基準に偏らず,コミュニティの基準も加えて「落とし前」を決めるというのは,画期的なことだと思います。

その一方で,考えなくてはいけないのが,そういう基準(「掟」の類)が現在の地域にあるのかということ……。裁判員が依って立つべき,「一般市民の常識」と言ってもいいかもしれません。これがない(あるいは希薄だ)とすると,裁判員が依って立つ基準は,個人の基準(良心)に求められることになりそうです。そうなると,これはかなりビビリますね……。

冒頭アンケートで,「参加したくない」と答えた人の中に,「人を裁くことをしたくない」という理由がありました。この中には,人を裁くだけの掟が自分ないし自分をとりまくコミュニティに存在しない,というものもあるような感じがします。

とりあえず,ほとんどの方は自分が言い渡す刑がどういう内容なのかも分からない状況だったりします。例えば「懲役」がどんな刑なのか,といったところあたりから説明するってのも,(コミュニティの基準を確立するためには)アリなんじゃないでしょうか。

まぁ,ただの印象ですけどね,印象……。

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