Entry

「言葉」から逃げる・逃げる

2005年10月21日

最近四苦八苦しながら読んでる本です。

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学
エドムント フッサール Edmund Husserl 細谷 恒夫 木田 元
中央公論社 (1995/06)
売り上げランキング: 85,214

「分析」なんて物好きなことをやっている向きが,「客観性を担保している」とか,「多くの同意を得ている」とか,「論理的で合理的」だとか言っていたとしたとしても,結局のところ,「分析」している当人の内面にある価値体系なり言語体系なりを,「他者の言説を借りて」恣意的にマッピングしているだけだということに,そろそろ気づいてきました。「分析」は他者に対するそれではなくて,「自己分析」だということ。

こういう言葉の体系から逃げる術はないものかと,ちょっと考えてみると,「ふーん。そうなのかもね。そうじゃないかもしれないけど。」みたいな態度をとっているのが,それなりに有効な気がしてきました。

【追記】
なんとなく関連がありそうな文章を見つけたのでメモメモ。

中井久夫「折り合い・不徹底・レシピー」現代思想の冒険者たち(23)月報第12号

人は他者と意志の伝達がはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じ合うことができない。それは他者と意志の伝達をはかるときと同じ手段によってしか自らとも通じ合えないということである。

かれは、わたしがひとまず「他者」と呼ぶところにものを中継にしてーー自分自身に語りかけることを覚えたのだ。

自分と自分との間をとりもつもの、それは「他者」である

(ポール・ヴァレリー「カイエ」二三・七九〇ー七九一、恒川邦夫訳、「現代詩手帖」九、一九七九年、一〇八ページ)

(snip)

ほとんど他者と通じ合えないようにみえる患者は何よりもまず自分と通じ合えていない。

(snip)

非常にありふれた例として、荒れている少年とか、些細な違反を咎めてとめどなくなる教師の内部を仮に覗き込むことができるとすれば、自分との折り合いが非常に難しく、自分と通じ合えなくなっているはずだと私は思う。

性というものにかんしてもそういうことができる。自分のセクシュアリティと「通じ合う」、すなわち折り合いをつけられるのは、他者のセクシュアリティを認め、それとのやさしいコミュニケーションができる限度においてである。「片思い」の全部とはいわないが、自分と自分の肥大した幻想とが通じ合えなくては実はみずから「片思い」を選んでいる場合がある。

「患者」というのは中井氏が精神科医だからで,引用に際して「病的であること」を特に強調しているわけじゃありません。「職業柄出会う人(クライアント)」といった程度で読んでいます。

【さらに追記】
このエントリ,改めて読み返してみると他人様には訳が分からないことになっていると思うので,少し背景を説明しておきます。

あたしの場合,ずいぶん昔から「言葉」で物事を括ること(括られること)に抵抗があったりします。この頃は「オタク」だとか「勝ち組」だとかいった言葉で,物事が括られていますよね。そういう括り方が,どうもしっくりこないんです。

この話,よく指摘されるところでは,「社会的なレッテル貼り」が行われるといったことが挙げられます。「括ること」の「効果」についての話ですね。おそらく,そこから疎外が生まれるってことも,少なからず当たっているんでしょう。ただ,あたしの違和感はそこにはありません(多少は関係するんだろうけど)。

しっくりこないのは,視点を「括る側」に向けたとき,括る側がそこで語られる「言葉」との関係で,どういう「立ち位置」にいるのか,分かりにくい(ことがある)ということです。

例えば,「勝ち組」で言うなら,「括る側」にいる彼(彼女)は「勝ち組」にいるんでしょうか,「負け組」にいるんでしょうか。「勝ち組」でも「負け組」でもない「普遍的な客観世界」にいるんでしょうか,「大多数が実感している世論」に立っているんでしょうか,それとも単に個人的な感情を換言するために自前で作った「主観の世界」にいるんでしょうか。

「言葉」に括られることには,「エタイノシレナイモノ」に抱きつかれるような気味の悪さがあります。ものを書くにしても本を読むにしても,音楽を聴くにしてもゲームを楽しむにしても,原因不明の何かに動きを鈍くさせられる感じです。他方で,言うまでもなくあたし自身も「言葉」を使っているわけで,「エタイノシレナイモノ」として,他人に抱きついていることがあるはずです。こうしたことがどうやって生まれるのか,自分の「言葉」の使い方はもちろん,他人様の「言葉」の使い方も見ることで,その成り立ちを見てみたくなったというわけです。

そんなわけで,タイトルの「『言葉』から逃げる・逃げる」というのは,「括る側」を振り返りながらチラチラ見つつ,括られるよりも速く立ち回ることを表現したつもりだったりします。でも,このエントリの中身じゃ,どう読んでもタイトルとは結びつきませんよね……。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN