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『たそがれ清兵衛』をようやく観た

2005年12月08日

観よう観ようと思ってなかなか観られなかった,『たそがれ清兵衛』をようやく観ました。この頃は,大味な外国映画ばかり観ていたもんで久々の邦画です。

たそがれ清兵衛

個人的な感想は後回しにするとして,既に観た方のレビューで,あたしとまるで正反対に観ている方がいらっしゃったので引用します(たそがれ清兵衛(レビュー) - 「僕らはみんなナルシスト」)。

どんな人にも何かしら取り柄はあるものだが、それを周囲に自慢する機会は少なく、たいていの人は、取り柄を隠すことで自己陶酔(とうすい)している。(snip)

ひょんなことから、剣の腕を人前に見せつける機会を得たたそがれは、ここぞとばかり意気込んで、棒きれで敵を打ちのめす。人を殺すのが怖いからというよりも、自分の見栄のために棒きれを選んだのである。

あぁ……こういう見方もあったのね,と,もう一度観直そうと思いました。

清兵衛(真田広之)は,剣の使い手なのに謙遜したり,江戸への仕官を勧められるのに断ったり,子供の頃から好きだった幼ななじみ(ともこ:宮沢りえ)との縁談を断ったり,と,観ているこっちがもどかしくなるほど謙虚で奥手な人物です。あたしは単純に自分を過小評価している人なんだなぁ,と思っていたんですけれど,どうなんでしょう。

ここで,「自分を過小評価する」というのは,世間様の水準と比べて自分が劣ると思っているということで,ものさしはあくまでも「世間様」です。自分は世間にいわゆる「剣の使い手」じゃない,とか,才色兼備のともこと自分は世間から見て不釣り合いだといった具合。

けれど,だからといって清兵衛はそういった自分をみじめに思っているわけではなくて,幸せに暮している……ここら辺がミソというか印象的だったところです。世間から「変わり者」とか「不運だ」とか言われながらも,分相応の暮らしに自分なりの幸せを見つけて生きている人物。叔父さん(丹波哲郎)が縁談を持ってきたときに,清兵衛は「(縁談の相手は)そういった自分なりの幸せを分かってもらえる人だろうか……」みたいなことを口にするけれど,そんなところからも清兵衛の気質が伺われます。

もっとも,こういった「自分なりの幸せ」なるものも,周囲の状況や自分以外の他人が絡んでくると,折合いを付けるのに苦労します。「時代が変わったら剣を捨てて百姓になる」と漠然と考えていても,現実に飢饉で餓死した農民が川に流されているのを見ると動揺するし,自分がいいと思っている生活でも,ともこを嫁に迎えるとなると苦労をかけるのが分かっていて,なかなか縁談を進められないといった感じ……。「世間様」も幕末の動乱期で肝心の藩もお家騒動の真っ只中なわけで,うまく渡り歩くのは不器用だとしんどそうです。

そうした視点から観ると,ともこは割と明治的というか新しい人だけれども,清兵衛はまだまだ藩や武士にまつわるしがらみと新しい時代の間で右往左往しているように見えます。そんな中で,自分と似たような気質の藩士を斬るよう命じられた清兵衛は,複雑だったかもしれません。世間様に合わせて器用に立ち振舞うのは,いつの時代も難しいなぁ……と思ったりします(作り話ですけど)。幕末というと,『ラスト・サムライ』チックな壮絶な武士の最後が思い浮かぶけれども,こういった武士の最後というのも味わい深いです。

清兵衛は佐幕派に立って,倒幕派の「鉄砲」で最後を迎えるわけですけれど,これもまた象徴的。まさに「武士のたそがれ」です。

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[2005年12月17日 22:27] 「たそがれ清兵衛」〜DVD from David the smart ass
主人公清兵衛(真田)は妻を病気で亡くし、その長患いの治療費で借金だらけ、まだ小さな子どもを二人と認知症の母を抱えて赤貧の生活をしています。毎日役所勤めを終えると... [more]
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