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年末の忙しい時期にエヴァンゲリオン見てお腹痛い

2005年12月31日

ここ半月ばかり,1日2話くらいのペースで『新世紀エヴァンゲリオン』を見直してました。大晦日直前の昨日,やっと最終話(劇場版 第26話 「まごころを、君に」)を見終わって,むふぅ……な気分です。お腹痛い。

劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に
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エヴァンゲリオンが放映された時期,あたしはちょうど暇を持て余していた学生だったもんで,いろいろ考えさせらたのを憶えています。

もっとも,ここで改めて作品それ自体の感想を書いてもイマサラ感が拭えないし,ここまで語り尽された作品について話すってのは,あたしも読んでる方も面白くないだろうからやめときます。代わりに,エヴァンゲリオンのテーマから見て,この頃思うことをつらつらと書いてみます。

これはあくまであたしの理解ですけれど,エヴァンゲリオンはどうも「人と人の結び付き方」をテーマにしているようです。

もっとも,ひと言で「結び付き方」といっても,いろいろな形がありうるわけで,親子の関係から,友達との関係,恋人との関係に至るまで,いろいろな局面が考えられます。一方で,人が人である以上,自分以外の他人のことを全て受け入れることはできないし,他人を受け入れられない以上,自分自身のことも全て受け入れることはできません。

反対に,もし他人の全てを受け入れられて,したがって自分自身のことも全て受け入れられる存在があるとしたら,それは神様しかいないんですね。このことは,人間にとっては「死」を意味するし,神様の側からしてみると「再生」を意味することになりそうです。

つまるところ,「一緒になりたいけれど,一緒になりたくない」ってなアンビバレントな状況です。そういう中で,ギクシャクと動いているのが人間関係の「現実」なのかもしれないんだな……と。

ともあれ,そんなテーマがあるんだなぁ……というのは今回再確認しました。

んでもって,この作品を見て今思うのは,あれから10年弱が経った今を見ると,「一緒になりたい」ってな雰囲気が,放映当時よりもさらに高まってるみたいだなぁ……といったことだったりします。他人と「同じ言葉」を求めたいとか,「同じ価値観」を共有したいと考えるのは,本作によると「不安だから」ってことになるみたい。けれど,そのことは,裏返すと自分以外の他人の首を(そして自分自身の首も)絞めることでもある,ということなんじゃないかと思ったりして。

なんだか抽象的でわけわからなくなっちゃいましたね。あまり考えすぎるとお腹痛くなっちゃうから,「ふーん……そうかもね」程度で流してくださいな。

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