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社会の落とし前と犯行の動機

2006年01月20日

たけくまメモ: 宮崎勤の死刑判決に思う

先日,被告人の死刑が確定した宮崎事件の話で,竹熊さんの話に思うところがあったので,ちょっと書いおきます。センシティブな問題だから,慎重に書かなくちゃなぁ……。

結局のところ、動機主義と司法の論理とは根本的に相容れないものがあるのではないか。人間の行為は裁けても、心の中までは、誰も裁けないのだ。

であるならば、動機の詮索なんかは最初から止めて、ただその者が成した行為の軽重において淡々と罪を決定すればいいのではないだろうか。この論には納得のいかない人も多いとは思うが、今回の最高裁の結論も、そういうことなのだと思う。

たけくまメモ: 宮崎勤の死刑判決に思う

被告人の犯行動機が裁判でまったく無視されているかというと,刑の量定で斟酌されうる重要な要素でもあることから,そういうわけでもないんだと思います。ただ,有罪・無罪を判断する上で動機が脇役になっているのはたしかなところ。

で,動機を裁判で解明することなんですけれど,この詮索をやめてしまうというのには,ちょっとひっかかります。そこら辺の話を,「法的な落とし前」と「社会的な落とし前」ってな枠組みで考えてみようと思います。

あたしゃ,学生の頃,刑事訴訟法なんてマイナーな法律を専攻していたもんで,こうした話には割と昔から感心があったのでした。

ある人が他人に殺されたり,他人に怪我を負わされたりすると,法律の世界ではこの出来事を刑事事件として取り扱うことになります(もちろんそれだけじゃない)。つまり,警察が犯人をつかまえて,裁判で落とし前を付けさせるという仕組みに乗っかるわけですね。裁判で死刑を言い渡されたら,被告人は死ぬことで落とし前を付けたことになるし,「刑務所で3年間労役せい」と言われたらその期間働くことで落とし前を付けたことになります。

で,問題になるのがこの「落とし前」です。上の例で「落とし前を付けた」というのは,あくまでも「法的な」事件の解決であって,社会のそれとは違います。両者が一致していれば,事は簡単なんですけどね。けれど,事実として,法的に落とし前を付けたはずの受刑者が,出所後,社会から忌避される(社会的に落とし前がついていない)なんて例はザラにあるわけで,社会的な落とし前と法的なそれは別々にあるように思えます。

また,刑事の判決に「もう十分社会的制裁を受けているから法的な刑は軽くしてやる」,みたいな文句が出ることがたまにあるけれど,これも「法的な落とし前」と「社会的な落とし前」を区別することを前提にしているように思えます。

それじゃ,犯人はどうやったら社会的に「落とし前」を付けたことになるんでしょう……。この点,竹熊さんは「文学の仕事」としているけれど,あたしも基本的にはその類が落とし前を担うことになるんじゃないかと思っています(裁判がどの程度担うかは別問題として)。そして,このことは,犯罪のような忌々しくて禍々しい出来事を,社会の側がどう受けとめて乗り越えていくのか,といった話と直結します。

そこで,現在,社会的な終止符の打ち方として,「動機」や「事件の真相」だとかいったモノが求められる話。

以前,このことについて(法学系ではない)知人と話したことがあるんですけれど,彼が「そりゃ事件の真相が分かれば将来の犯罪抑止につながるからだろう」なんて話していたのを思い出します。

おそらく,そういう側面があるのは確かだし,ある犯罪の犯行動機から他の犯罪を予防する方法論も,相当程度体系化されているんだと思います。けれど,こういった話も,あたしを含めた犯罪分析の素人が聞いてもわけがわからんわけで,情報それ自体としてはあまり意味はないはずです。

それでも,素人であるあたし達は(少なくともあたしは),「犯罪の真相」なるものを聞いて,それなりに「落とし前感」を感じることができてしまいます。これがどうしてなのか考えてみると,やはりなんであれ将来を予測できると「思える」程の因果関係(竹熊さんに言うところの「物語」)を知ることが,社会が事件を乗り越えて恢復していく上で必要だからじゃないでしょうか。

裁判とのからみで言うと,動機が脇役になりがちなことは先述のとおりですけれど,社会的な落とし前としての「動機の解明」を,裁判所をはじめとした司法制度がどの程度汲み取っていくべきか,ってことは議論の余地があるし,議論しても無駄なことではないと思います(ここは竹熊さんと違うかな)。竹熊さんの言うとおり,動機が完全に解明できてしまう事件なんてのは,人間が引き起している以上ありえっこないし,第一,裁判所が被告人の犯罪に関わらない内心までも詳らかにして責めたてるってのも,人権保護の観点からして問題だと思います。でも,国家の落とし前と社会の落とし前があまりに乖離してしまうってのも,困りもんですからね……。難しい問題です。

この頃は,従来の刑事司法制度を見直す意味で,「修復的司法(Restorative Justice)」なんて概念が提唱されているけれども,ここら辺の話を考える上では要チェキ(死語)な動きなのかもしれません。

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