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ised@glocom 第7回議事録の読後雑感

2006年04月21日

ised@glocom - ised議事録 - 倫理研第7回

今回は,小倉秀夫氏が提案する ID 制を中心とした匿名の話だったようで,興味深く読ませてもらいました。せっかくなので,雑感を書いておきます。

一読した印象では,やはり小倉氏の言い回しはとてもレトリックの要素が強くて,そのまま制度的な議論に持ち込むのには難儀しそうだ,といった感じでした。特に,「言論の自由市場」なる言葉は人によってどうとでも扱える概念だけに,積極的な根拠にするには苦しい印象があります。「言論の自由市場」なる言葉は,法律界隈ではよく使われる言葉なんですけれど,どうもこの言葉を使うと「表現の自由」そのものの意義が「市場」なる概念に回収されてしまうきらいがあります。「総論は分かるけれど各論(制度論)までは支えられないんじゃないか」といった感じ……。

例えば,「匿名を制限すれば言論の自由市場がうまくまわるようになる」と言われても,元がレトリックなだけに具体的にどういう状態になるのかがよく分からないし,「良質な言論」なるもの(市場になぞらえるなら「財」か)がどういった性質の表現なのかも,人によってえらく判断が分かれるところだったりします。結果として,ID 制を支持できる直接的な理由は,コメントスクラム等が無くなる,といった極限られた局面に対する「措置」として位置付けられることになってしまうわけで,総論が抜け落ちた綱引きになってしまうと……(コメントスクラムがあってプライバシーが守られる言論市場と,コメントスクラムがなくてプライバシーが制限される言論市場のどっちがいいんだ,みたいな究極の選択になってしまう)。

表現の自由についてあえてベタな話を持ち出すと,表現の自由が重要なものとして尊重されるのは,言うまでもなく「自己統治」や「自己実現」といった価値を直接保障しているからです。そうだとすると,制度論として匿名規制周りの話をする場合に,匿名表現(あるいは顕名表現)が民主主義(的な他の諸制度)に対してどのようにコミットしうるのか,といった議論は総論として不可欠なんだと思います。んでもって,匿名表現に伴なう権利侵害(具体的には名誉権侵害)に対する手続的救済は,これらの民主主義的な利益(それに自己実現的な利益)との利益調整の問題として,切り取る必要があるんじゃないかと思ったりします。

もっとも,これだけで済めば話は単純なんですよね。こうした話は,議論がまっとうに行なえる「場」が設定できている,ということがあらかじめ前提になっています。この点で,例えば,「繋りの社会性」といった現象を考えると,利益調整云々以前に「表現の場」をどうやって設定するのか,といった話が無視できない問題として残っちゃうと。難しい。

個人的には,あえてベタなリベラリズムを重視して,匿名表現の自由が保護する何か(民主主義?自己実現的利益?)といった話を起点にして考えたいところです。具体的には,議事録でも少し話題になっていた「マイノリティの言論」あたりがキーになるんじゃないかといった感じ。紛争はたしかに減ったけれど,それは市場のプレーヤーが少なくなったから,なんて顛末じゃ(民主主義的には)笑い話にもなりませんから。

ID 制を考えると,「加害者を特定できない(特定するのにコストがかかる)ことで被害者が泣き寝入りしないため」といった理由と同時に,「あらかじめ紛争の芽を摘んでおく」といった予防司法的な発想もうかがえます。前者はよく理解できるし,後者の「紛争の芽を摘んでおく」といった理由も,一般論としてはたしかにいいことなんだと思います。けれど,特に後者の場合,これが表現の内容にまで影響することになってしまうとしたら本末転倒です。そんなわけで,あたしの考えとしては,「表現内容が左右されるよりはマシ」といった理由で,現行の紐付けの程度を支持しておきたいと思います。もっといいアイデアはあるかもといった期待を留保しつつ……。

ともあれ,今回の議論は具体的な検討で,とても面白かったです(いつもは議論が抽象的で理解するのに難儀する)。匿名論議もかなり内容が深まった感じがします。

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