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読書報告(後編) - 『心理学化する社会』を読んだ

2006年04月27日

前エントリからの続き。

ここでは,『心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』をば。著者の斎藤環氏は,ひきこもり問題やゲーム脳批判でおなじみの精神科医さんです。サブカル周辺やポストモダンな考え方にもとても詳しいそうです。

心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか
斎藤 環
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本書のテーマは,ものすごく簡単に要約すると,「最近おまえら心理学に頼りすぎじゃね?」といった感じになります。あ,簡単すぎますか。もう少し詳しく説明すると,例えば少年事件における少年の取り扱いだとか,映画をはじめとした物語のキャラ立てに,やたらと精神分析的な解決やトラウマが必要されるけれど,これっておかしいんじゃない?なんでそんなことが起きるんでしょう?という話です。

「なんでそんなこと……云々」の箇所は,過不足なく要約する自信がないから,できれば読んで確かめてもらいたいんですけれど,簡単に見取り図を書くと次のような話になります。

本来,事後的で一回的であるはずの精神分析は,その知見が社会に普及したために,社会を自己言及的に支えるシステムの一部として機能することになった(ここに言う精神分析は幻想であって心理学的なものではない)。この社会システムの自己言及性のために,個人はその知見のスクリーニングを受け,結果サイコちゃんが増えることになった。一方で,メディアを通じて「心」はますます具象化され身体化されて,コントロール可能といったリアリティを獲得する(幻想だけど)。そのリアリティを担保するために必要とされるのが「トラウマ」で,サブカルやアートシーンの方面では必須の要素になっているばかりか,「自称ACによるトラウマ語り」も盛んに行なわれることになる。

と,こんな感じです。

ミソは,精神分析的な知見が社会システムに組込まれることになった(「精神分析のシステム論的転回」というらしい),という指摘と,心が身体化して管理可能といったリアリティを手に入れた,という指摘なんだと思います。で,このうち前者は,自己言及的なシステムに組込まれていていることから,個人は「おまえ病んでるんじゃない?」とか「あたし異常かも」とかいったスクリーニングを受けることになります。結果として,社会全体がうっすらと病んでいる状態になる,と。それに加えて,心をコントロールできるというリアリティを持つに至ると,自己コントロールへの欲望や権力的なコントーロル(規律訓練型(パノプティコン型)・環境管理型)が問題になってくると。かっこいい……(※考え方が)。

考えてもみると,精神分析的な言説って書籍にしてもネット上の言説にしても,えらく増えましたよね。言説だけじゃなくて,需要する側についても精神分析的(あくまでも「的」)な解を求める風潮がたしかに感じられます。社会問題に限らず卑近な話で見るところでも,あきらかに専門家じゃないのに勝手に他人の性格分析や精神分析している向きがいたりとか,必要以上に内省的で,話をしているといつのまにかカウンセリング・モードになっちゃう人がいたり,といった具合。あたしも,これまで漠然とした違和感はあったんですけれど,こういうパラダイム(システム)に乗っかってたんだ,と思うと妙に納得がいきます。

あたしは,同氏の著書は始めて読んだんですけれど(ラカンも読んだことはない),本書はとても刺激的で示唆に富む話でした。是非,他書にも当たってみたいところです。

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