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「今あるものでなんとかやっていく技」という考え方

2006年05月09日

古書店でジャケ買いした『有名人と権力―現代文化における名声』が面白くて,つらつらと読んでいるんですけれど,カルチュラル・スタディーズのポピュラー文化のとらえ方が面白かったのでメモ。

有名人と権力―現代文化における名声
ピータ・デイビッド マーシャル P.David Marshall 石田 佐恵子
勁草書房 (2002/06)
売り上げランキング: 599,093

カルチュラル・スタディーズのポピュラー分析において展開された二つの特徴がある。まず、実際に大衆文化は存在せず、むしろ、文化の被支配層を含む権力構築がある、ととらえる点。したがって、〈ポピュラー文化〉という語の利用は、より多くの異質性を許容するような人々の別な定義によって、大衆文化とその均質性の正体を暴露する戦略である。第二に、カルチュラル・スタディーズはポピュラー文化の抵抗形態の存在を強調する。この領域における偉大な伝統のひとつは、サブカルチャー成員の生きられた経験にかかわる異なる意味システムに支配的な文化形式の再構築を示すよう、サブカルチャー集団を定義し、研究することである。カルチュラル・スタディーズに関係する研究者たちは、支配的文化のシンボルに対する明白な抵抗ゆえに、しばしば見世物的な若者のサブカルチャーに惹きつけられる。しかしながら、所与の表象の新しい方向づけは誰にでも継承可能であり、そのアプローチの一般教義は、社会的世界の意味生成過程である。

ポピュラー文化の中核の緊張状態との後の再構築は、フィスクの言葉「ポピュラー文化の技とは、『今あるものでなんとかやっていく技』である」に、最も良く文節=接合されている。フィスクが意味するのは、人々は文化的生産物のさまざまな形式、ラジオ、テレビ、レコード、映画を生産こそしないが、「彼/彼女らは、それらの資源からその文化を作る」ということである。(snip)たとえば、パンクは、過去の支配的文化の流行表象である古着を、対立と差異の表象へと再構築する。彼/彼女は、対象について所与の支配文化的意味の新しい意味と感覚を構築しつつ、〈プリコラージュする人〉としてふるまう。

有名人と権力―現代文化における名声』(P.David Marshall,勁草書房,2002年,pp62-63)

考えてみたら孫引きだし,読む人が読んだらカルチュラル・スタディーズの単なる説明なので,引用するのもアレなのかもしれないんですが……。

ともあれ,ここでフィスクを引いて,ポピュラー文化を「今あるものでなんとかやっていく技」としていところは,うまくまとまっているなと思いました。伝統的で権威的な文化形式なるものが,個人のそれに対する近付き方を規定してしまうことで,支配・被支配の関係が生まれる,ということは割と感じていたりします。で,そうした規定に対抗する意味で,被支配者側から新たに意味付けを施してしまうというのは,あたしも自覚的にやっていたりして(それをサブカルやポピュラー文化と呼ぶものかはさておくとして)。

一方で,伝統的・権威的な文化形式に対抗する,という話で言えば,尾崎豊的というか中二病的というか,とにかく権威的な文化を打破するぜ!みたいな態度(対抗文化的というのか)も考えられます。けれど,こうした態度は,当の伝統的・権威的な文化に寄りかかった上でしか成立しないわけで,その文化の伝統性や権威性をむしろ強めてしまうところがあったりします。

それに対して,ここで言っている「ポピュラー文化」というのは,伝統的であれ権威的であれ,とりあえず肯定的に受容した上で,その文化が規定する近付き方を相対化してしまう,といったところでしょうか。被支配者側の環境や文脈に合わせて周囲の環境をカスタマイズする感覚といえば,分かりやすいかもしれません。

そう考えると,「萌え」や「ネタ」のように被支配者側から意味付けられる概念なるものは,本質的に支配者側が理解できるもんじゃないんだと思ったりして。例えば,テレビが「『萌え』とは……云々」なんて紹介したところで,どこまで行っても支配者側からの意味付けなわけで,意味付けを施した本人たちからすると「お前がいうな」な話になってしまうと……。そして,仮に,支配者側が「萌え」を意味付けたとしても,被支配者側はそれを相対化してスルリと抜けてしまう……そうした術を「今あるものでなんとかやっていく技」というんだと思います。

個人的に自分の態度は,「支配」や「暴露」といった言葉から連想するような厳しい対立関係があるわけじゃないと思っていて,また尾崎的な態度と比べたら,よっぽど当たり障りのない折衷的な態度だと思っていたりします。また,「より多くの異質性を許容するような人々の別な定義によって、大衆文化とその均質性の正体を暴露する戦略」なるものは,ただ頭ごなしに相手の文化なり文脈なりを否定すればいいもんじゃないことから,むしろ積極的に支配文化に入り込む必要が出てきます。その意味で,自分がすげーなと思っている消費者さんは,えらく博識だし積極的に文化に関わっている印象があります。

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