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ブラック・ボックス……怖い怖い

2006年05月27日

前回紹介した『ペシミスティック・サイボーグ』で,印象的な一節がありました。

浅田彰によれば、一昔前のテクノロジーとはいわば「グレイ・ボックス」だった。カメラでも何でも、一応その作動原理を知らなくては使いこなせない。だが、現代テクノロジーは、何も知らなくてもシャッターさえ切れば取れてしまう自動焦点カメラのような,「巨大なブラック・ボックス」をかたちづくる。このブラック・ボックスがプレモダンなメンタリティにつながると浅田は鋭く指摘する。

『ペシミスティック・サイボーグ―普遍言語機械への欲望』(西垣通,青土社,1994年,p102)

言うまでもなく、〈機械〉というのは人々を驚かせ、不思議がらせ、ついには納得させてしまう偉大な神秘性を秘めた存在である。そこでは正確さや迅速性などが暗黙の前提となって、有無をいわせず権力の場をかたちづくる。

『ペシミスティック・サイボーグ―普遍言語機械への欲望』(西垣通,青土社,1994年,p266)

まぁ,よく言われることっちゃ,よく言われることなんですけれど,この話を自分の話に還元してみると,自分が文系のくせにコンピュータやネットに強く関心を持つのは,ここら辺が原因なんじゃないかと思ったりします。

「ここら辺が原因」というのは,もちろん「権力持ってブイブイいわすぜっ!」ということじゃありません。それとは全く反対で,「プレモダンな権力の場」に支配されないための防御反応みたいなもの……と言えばいいでしょうか。コンピュータであれネットであれ,「なんだかよく分からないけれど,うまく動いている」というのは,便利だと思う前に薄気味悪さを感じてしまうんです。

つまるところ,自分が機械の仕組みやプログラムの作られ方を知りたくなる動機には,ブラック・ボックスをなるべくグレイにしておきたい,といった切羽詰まった事情があるんじゃないかと思うわけです。こうした脅迫観念みたいなモノは,場合によっては「好奇心」だとか「知的なんたら」とかいった具合に,カッコヨク言い換えられるわけですけれど,根本にあるのは,やはり本書にあるような「ブラック・ボックス」(ひいては権力)に対する恐怖のはずです。

そんなもんで,読書なり書き物なりをして,知識や知恵を手に入れているときは,大抵,何かに追いまくられている感覚があります。こうした読み方は,マイナスをゼロに戻すような消極的な読み方なわけで,プラスを積み重ねるような優雅な読書とは,まるで性質が違うんだと思います。おそらく,後者の読み方の方が,読書経験としては豊かなんでしょうけどね。

じゃあ,消極的な読み方をしたら何かいいことがあるのか,というと,巨大なブラック・ボックスを前にしたら,自分のやっていることなんてのは,ほとんど無駄な努力に思えます(トホホ)。もっとも,「なんだかよく分からないけれど,うまく動いている」が,「少なくとも,この部分はこういう理屈で動いている」に変わる瞬間は,わけの分からないブラック・ボックスから,ちょっとだけ解放された気分になります。

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