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読書感想文考(続き)

2006年08月18日

随分前に「qune: 読書感想文考」なるエントリを書いたのを読み直していて,読書感想文の何が苦痛なんだろう……と,つらつら考えてみました。あたしも読書感想文は苦手中の苦手で,この時期になるとお腹が痛くなっていました。あまりに辛くて,提出しなかったときもあるくらい。

で,どこら辺が苦痛なのかというと,前掲エントリに即して言うと,ここら辺の話になりそうです。

要は,どれだけばれないように現実味のある理想を書けるかってところに落ち着くように思います。

qune: 読書感想文考

読書感想文用の推薦図書ってのは「良い本」というお約束があるから,読んだ後で,とりあえず感動しなくちゃいけません。例えば,伝記なら「ヘレン・ケラーは三重苦なのに立派に生きていて感動しました。」といった具合。もっとも,ただ感動するだけなら安いもんで,いくらだって感動できます。ここら辺は,(少なくとも個人的には)あまり苦痛じゃありません。本当に感動しなくたって,「感」「動」と2文字書けばいいだけですから。

問題は,図書のストーリーと自分を重ね合わせなくちゃいけないところです。これは,「読書感想文の書き方(その1)」で,「感想文は「生活作文」である。」としているとおり,読書感想文の要件です。具体的で露骨な言い回しを使うと,「ヘレン・ケラーに感動しました。それに引き換え,わたしは……」といったところ。

んでもって,これのどこがマズいのかというと,読書感想文にマトモに取り組むには内省せざるを得ない,ところです。もちろん,自分で自分を分析することは,ある意味有用です。けれど,読書感想文の場合,特定の理想(例:ヘレン・ケラー)を中心にして自己分析しなくちゃいけないのがマズいと思うんですね。大抵の人はヘレン・ケラーより立派(とされる)生き方をしているとは思っていないでしょうから,図書の人物やテーマと比較して自分を否定的に分析せざるを得ません。

その意味で,読書感想文は児童書の「批評」や単純な「感想文」ではありません。内省を吐露した文章であればある程評価される,あるいは完成度が高い,ということになるわけで,よほど承認欲求の強い人か私小説作家志望でもない限り,喜んでする人はいないんじゃないでしょうか。本を読む機会を確保するだけなら,要約させるだけで十分なのに,まったくどういう司牧権力なんですか,という……。

そんなわけで,今にして思えば,こんなものにマトモに付き合う必要はないとすら思います。ただ,宿題は宿題なので提出しなくちゃいけません。そこで,いくつか回避策を考えてみます。

  • 著作権フリー!![自由に使える読書感想文]」のようなサンプルを使って,コピー&ペースト。
  • 自分で考えた物語の感想文を書く。
  • 2冊の同じようなテーマを扱った本について同時に感想分を書く。
  • 有名な感想文に対する批評も加味して感想文を書く。

項目を下るにしたがって,難易度が高くなります。

要するに,その本が理想としている価値観と自分がタイマンを張らないようにすればいいと思うんです。「コピー&ペースト」は書き手不在だからタイマンを張らないし,「自分で考えた話」も「物語の価値観==自分の価値観」だからタイマンを張りません。後2者は,本の価値観を相対化するように別の本や感想も導入することで,価値観を三つ巴にする方法です。ヘレン・ケラーの伝記だったら,『五体不満足』と一緒に読むとか……他の本も導入すると多少はヘレン・ケラーの神様感や偉人感が薄らぐんじゃないでしょうか。

推薦図書の価値観は,読書感想文に関する限り絶対ですから,ガチンコで勝負したら負けるに決まってます。で,負ける勝負はハナからしないのが利口なわけで,夏の終わりにわざわざ自虐的な内省を吐露する必要もない,と。ただ,上記の方法は,「コピー&ペースト」を除けば,割と労力がかかります。あとは,その労力と,マトモに取り組む際に被る精神的苦痛との兼ね合いになるんでしょうか……。

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