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ネットとキャラの死

2006年10月14日

こちらを読ませてもらって,つらつらと思い出したこと。

人力検索はてな - 開設者が亡くなった後、生前の状態のまま現在まで残っているウェブサイトを教えてください。 開設者の死後に遺族や関係者が手を加えていないサイトに限定です。 亡くなったときの事情、原因などについての情報もあるとベターです。

えーと……本家はとっくの昔に無くなっていてミラーが残っているだけだから,「生前の状態のまま」というのには当てはまらないけれど,zedoc 氏の「終る世界」という自殺日記がネットで話題になったことがあります。もう10年も前の話なのに,ミラーはまだ残っているんですね(そういや最近ミラーって聞かないなぁ……)。マスコミにも取り上げられたことがあるし,当時はやたらと「自殺」の話があったので,知っている方も多いはず。あ,老婆心ながら,精神に心配のある方は読まない方がいいと思います。

「僕は今日から100日後に死のうと思います。」という書き出しから始まるこの日記,「終わる」と「わ」を送らないで「終る」としていたところが,奇妙さに拍車をかけていたのでした。日記を読んでいると分かるんですけれど,当時はこういうコンテンツをサーバに置きたがらない業者も多かったようで,あちこちたらい回しにされています。

結局のところ,zedoc 氏が本当に自殺したのかどうかは分かりません。もちろん,日記の内容を真に受ける人もいるわけで,カウンセラーの助言やはげましのメールがあったことも日記に出てきます(それも本当かは分からない)。けれど,この日記は,終始虚実の間でフラフラとしているコンテンツなもんで,その意味で言えば,「私小説」と「リアルな日記」の中間を表現したコンテンツとして,今でも意味があるんじゃないかと思っています。

まぁ……まったく質問の趣旨からは外れているわけですが。

さて,「終る世界」が本当の話だったにせよ嘘だったにせよ,コンテンツの受け手としては,書き手を「リアルな世界」と「ネット世界」の両方から浮き上がらせる必要が出てきます。読み手は書き手を本当でも嘘でもない世界に置くということです。

で,こういう手法なり表現なりが,今のネット環境の中でも通用するのか,というのが,質問を読んでいてあたしが思ったところだったりします。あたしゃちょっと否定的なんです。

あたしの場合,かなり昔から続いているサイトも,「お気に入り」の中に入っているんですけれど,そういうサイトには,なんというか「手書き感」があるんですね。じじくさい話になってしまうけれど,当然のことながら,昔から続いているサイトは,ブログツールのような自動化ツールを使って編集していません。何かしらのツールを使っているとしても,自前で用意したスクリプトであるとか雛形であるとか,そういった(今からすれば)プリミティブな道具を使って編集しているんだと思うんです。

こういうサイトは,その体裁からして書き手のキャラが出ているわけで,そこに生々しさを感じるんですね。もちろん,ここで言う「生々しさ」というのは,悪い意味で使っているわけじゃなくて,良い意味で使っています。んでもって,サイトから醸し出される「本当でも嘘でもない世界」というのは,こういった環境からしか生まれないんじゃないかと思うんです。

主観的なことだからもう少し一般的な喩えを引き合いに出します。

例えば,有名な雑誌――ジャンプでもプレイボーイでもなんでもいいですけれど,その編集者が交代した場合,コンテンツを通じてそのリアリティがどのくらい伝わるかといったら,微々たるもんだと思うわけです。ジャンプの大ファンは気付くかもしれません。けれど,コンテンツそのものの性質を揺がせるような変化は起きないはずです。

で、それはなんでかと考えると,ジャンプが持っている「体裁」がコンテンツのリアリティを担っているからで,ジャンプの中の人がコンテンツの基礎を左右できる立場にないからだと思うわけです。体裁が作るリアリティというのは,そういうもんがあるんだと思っていて,内部の書き手が多少変化しても,それを吸収する役割があるんだと思ったりします。

一方で,現在のネット環境,とりわけブログの環境というのは,そうした「体裁」を進んで一元化してきました。これは,特定のサイトの体裁が整っているということではなくて,どのサイトも同じ体裁だということです。極端な言い回しを使えば,個々のサイトではなくて,それらの集合体としての「ブログ」(「大文字のブログ」ということにします)なるものを,大多数のブロガーが分担して書いている感じだと言えばいいでしょうか。

先にも書いた通り,体裁は内部の変化を吸収する役割があるわけで,大文字のブログは,内部の代謝を吸収してしまうところがあります。んでもって,この「体裁」はフィードリーダによって強化され,ブログの「体裁」を持たなかったサイトもブックマークによって大文字のブログに取り入れられていきます。こうやって,ネットのキャラは死んでいきます。生々しいうちに死ねた zedoc 氏は幸せだったと思います。

いつだったか,あたしの予想として,「ネットは Google や SBM で一定程度収縮したら,発散するんじゃないか」みたいなことを書いたことがあります。つまり,秩序立った大文字のブログが解体して,(体裁ではなく)書き手に依存したコンテンツが再生するんじゃないか,ということです。けれど,今から注を加えるとすると,これは予想ではなくて,あたしの希望に近いもんだったりします。単に「連載終了」あるいは「更新停止」以上の意味を与えるコンテンツが生まれる環境というのは,ネット上のリアリティを考える上で重要なことなんじゃないかと思ったりします。

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