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天才を凡才なりに観察してみる

2006年10月15日

先日,某ベンチャー企業にいらっしゃる方と話す機会があったんですけれど,そこに勤めている某氏が天才だという話で盛り上がりました。要約して曰く,「私も20年近くこの世界にいるけれども,彼ほど飲み込みが早くて,できなそうなこともサラっとこなす人は見たことがない。才能だとしか思えない。」とのこと。その某氏とはあたしも話したんですけれど,とても感じのいい方で楽しく過ごさせてもらいました。

実際,彼が天才だったかって?そんなもんが判断できる程,あたしゃ能力はありません。

ともあれ,世の中にはたしかに天才的な人ってのがいるわけで,特定の分野に関しては,どんな問題もびっくりする程早く適切に処理できる人がいます。問題にまつわる知識(引出し)も豊富なので,話していて飽きることもありません。なんというか,次元が違うってのはこういうことなんだと,つくづく思い知らされます。一方,ここで「特定の分野」に限定したのは,オールマイティになんでもできるという人に,今のところお目にかかったことがないからです。多分いるんでしょうけどね。

で,天才的な感覚ってのはどういうことなのか,凡才なりに観察していると,息をしているのと同じ感覚なんじゃないかと思うことがあります。つまり,知識云々の量だけじゃなくて,体の動きや思考回路からして,「特定の分野」に適応している感じがするんです。プログラミングでも同様の人を見ることがあって,人間と言葉を交わすのと同じように機械の言葉を話しているような人がいたりします。「プログラミングしている」という意識すら無くて,目の前の PC とお喋りしているみたい。サッカーで言ったら,まさに「ボールは友達」状態です。

もちろん,どうやってそうなったのかは分かりません。あたしも知りたいくらいです。

少し前に,機械と同化したいみたいなことを書いたことがあるけれども,まさにそれを実際にやっている人がいるわけで,カナワネーナと思ってしまいます。

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