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『ハイエルフの森』を読んで私小説とか共感とか

2006年10月30日

古書店の100円セールワゴンで,『ハイエルフの森』を購入。「ロードス島戦記」の外伝で,ディードリットにスポットを当てた話です。何の注釈も振らないで「ディードリット」とか言っても,ハテナな向きの方が多いかもしれないけれど,気にせず続行。

ハイエルフの森―ディードリット物語
水野 良
角川書店
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あたしが「ロードス島戦記」を読んでいた時期は,小学6年生くらいから中学生くらいまでだったので,初版が平成7年(1995年)の本書は読んだことがありません。本編も5巻くらいまでしか読んでいなかったような……。当時はストーリーがどうとかとかいった理由よりも,出渕裕氏の絵が好きだったとか,「遊撃隊」と書いて「レンジャー」とルビを振るような独特の表現が珍しかったとか,そんな理由で読んでた気もするんですけど……。

さて,本書の話に戻ると,本書は外伝でしたから,読み始めるにはちょっとした覚悟が要りました。つまり,本編を思い出さないと理解できないかもなぁ……ということ。けれど,意外な程にそんな心配は杞憂に終わって,サクサクと読めてしまいました。これってなんでなんでしょう。とりあえず,もともと「ロードス島戦記」は,「コンプティーク」で連載されていた TRPG が元になっていて,設定が詳細に決まっている世界だから,世界観が頭に馴染んでいたというのはあるかもしれません。

一方,この「サクサク読める」ことについて,少しメタ的な話をすると,「ロードス島戦記」は筆者の視点がいかにも鳥瞰的,ということがある感じがします。鳥瞰的というのは,物語が個々のキャラクターの視点からではなくて,さらにその上から俯瞰して語られているような物語のこと。突き詰めて言えば,個々のキャラクターに感情移入しなくても読める物語といってもいいかもしれません。もちろん,「ロードス島戦記」は感情移入しても読めるし,そう読んじゃいけないってわけでもないんですけどね。感情移入しなくても読める物語というのは,そうでない物語と質が違う感じはするんです。

ライトノベル一般に言えることなのかは分からないけれども,あたしが読んだ中では,主人公を自分に見立てて読む必要のある物語と,そうした必要の無い物語は,割と明確に分類できて,前者の物語は,かなり男女の別とか世代とかいった要素で制約を受けるんじゃないかと思っていたりします。つまり,キャラ(多くの場合主人公)に自分を見立てて共感しないと,物語そのものが陳腐に見えたりするんじゃないか,と……。

さらに思い付きで話すと,こういった話はもしかすると「私小説」の話に通じるのかもしれません。例えば,「ハルヒ」あたりは個人的な分類いうとかなり私小説に近いものがあって,おそらく,あたしが面白いと思うところと,ライトノベルの対象世代が面白いと感じるところは質的にかなり違うんじゃないかと思ったりします(世代的・性的に共感すべき物語)。幸いなことに,「ハルヒ」は様々な方面にまつわる好き者をトロール漁船のようにすくい取ってくれたから,あたしみたいなのでも読めたわけなんですけど,一般的に私小説的なライトノベルを今でも読めるかというと,ちょっと自信が無くなってきます。

もちろん,ここでは世代的・性別的に共感しないと読めないような物語はつまらん,とか言っているわけじゃありません。むしろ,そういう物語はその時期にその人しか読めない貴重なもんだと思います。ただ,今になってまだ「ロードス島戦記」を読めてしまうのはなんでだろう,と考えていて,つらつら思っただけの話です。

ともあれ,本書は今読んでも面白かったです。本編読み直そうかな……。

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