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パソコンへの近付きやすさと Web2.0 とかあれこれ

2007年01月13日

パソコンの UI の話を少しばかり。

個人的な興味として,人間様がパソコンとどう関わっていくのか,というような話があって,今までつらつらと考えてきたんですけれど,ザックリとしたイメージとしては,以下の2点のアプローチしかないと思いるのでした。つまり,

  • 人間がパソコンに近付いていく
  • パソコンが人間に近付いていく

というアプローチです。言うまでもなく,前者の方がパソコンの知識を必要とするし,後者の方が「初めてでも安心」な環境です。もちろん,どうやったって,(今のところ)人間はコンピュータ的にはなれないし,パソコンが人間になることもできませんから,両者は歩み寄る必要があります。ですから,この話は「どっちがどれだけ歩み寄るか」という話になるんだと思います。

話を遡れば,この話は Windows 95 がリリースされた頃にまで戻ってしまいます。Windows 95 のインパクトというのは,これまでコマンドラインからカチカチ入力していたインターフェイスから,本格的に GUI な環境に移行した点にありました。Windows 3.1 はというと,UI のレベルでもまだまだ DOS に GUI の着物を着せたようなもんだったので,個人的には GUI というより「小洒落た DOS」といった印象。たしか MS-DOS 5.x なんかでは,それっぽいファイラなんかが標準で付いていたもんで,それと大して変わらなかった印象があります。

一方で,Macintosh はというと,早くから GUI を取り入れていて,あたしが触れた1994年頃には,現在の GUI の基本がほぼ完備されていました。OS でいうと,漢字Talk 7.5 の少し前くらいの頃です。その意味で言うと,Windows 95 は UI の点で後追いだったわけで,しかも,MS の OS としては,かなりドラスティックに転換したことになります。当時,Mac 側が MS に対して少ならぬ優越感を持っていたのはこの点で,生まれたばかりの赤ん坊を見るような印象だったんだと思います。Windows 95 が出た時なんか,Apple は新聞だか雑誌だかで「C:\Congratulati.ons」なんて広告を打っていたくらいですし(このことは以前書いたと思う)。

余談ですけど,「C:\Congratulati.ons」の話は,これまで記憶だけで元ネタを拾えなかったんですけれど,覚えてる方がいらっしゃったので,メモがてら引用しておきます。

My situation reminded me how much the Mac cult made fun of Windows 95 users when Microsoft's then-latest imitation of Mac System 7 hit the streets. Remember Apple's ad that said something like "C:\Congratulati.ons" -- making fun of the DOS naming convention still part and parcel of Win95? It was a bit of delicious irony when one Mac site published a fake, similar ad, commending Apple's OS X launch with the Unix-y statement, "%nice job.app -le."

Short Take: And We Used To Laugh At Windows 95 Users || The Mac Observer

話を戻すと,つまるところ,1995年以降コンピュータとの「関わり合い方(UI)」はそれほど大きく変わっていないわけで,歴史的に考えると,いい落とし所のひとつだったのかもしれない,ということです。

んでもって,Web2.0 的 UI の話。UI の話なので,Ajax あたりの話を思い浮かべてください。

考えてもみると,Web2.0 的 UI というのも,基本的には GUI 的な考え方を継承するもので,発想そのものに真新しいところは見当たりません。つまり,ローカルの PC でやっていたことが,ネット上「でも」できるよ,というだけの話です。もちろん,ネット上でできることのインパクトは,決して小さいとは言えないわけで,社会的・文化的な側面から見るとかなりのインパクトがあるはずです。けれど,この話を「人間とパソコンの関わり合い方」といった点で見てみると,それは1995年の発想を,ほとんど形を変えずに受け継いでいるはずです。

で,ここで思うのは,古いから新しくしなきゃいけない!みたいな乱暴な話ではなくて,ネットに関わる人間が分化していくんじゃないか,ということです。つまり,「作る側」と「使う側」が分化するということ。

Windows 95 が出た当初,ムキになった MS 側の反論として,「Mac ばかり使ってるとアホになる」みたいな話がありました。たしかに,漢字Talk は UI のレベルでコンピュータにまつわるややこしい話を吸収してくれたので,ほとんど家電の感覚で使うことができました。「アホになる」というのは,コンピュータの事を知らなくてもコンピュータを使えるのがアホだ,というわけ。今では Windows も負けず劣らず「アホ」になる要素が大きいいわけですが。

「アホになる」という表現は,「コンピュータのことを知っているか」といった話と通じているので,「作り手」と「使い手」が分化していく過程を,「作り手」の側から表現したもんなんじゃないかと思います。Windows 95 しかり,Macintosh しかり,たしかに,コンピュータの周りには「アホ」が増えました(※「作り手」の表現だけを流用しているので,「アホ」は「パソコンの中身を知らない」といった程度の意味です)。今時,「コンピュータ歴○年」とか言うだけじゃ,大したスキルを証明できませんしね(「アホ」を○年続けても意味がない)。

現在の環境は,冒頭の分類で言うと,「パソコンが人間に近付」いた要素が大きいわけで,人間としてはこれまでいた「位置」とあまり変わっていません。GUI な環境だけに限定するのもアレですけれど,1995年的発想というのは,人間の「位置」を変えないで,どれだけコンピュータが人間に近付いていけるのか,といった話だったんだと思います。それは,Web2.0 な環境(UI)もしかり。

分化の話と絡めると,「人間がパソコンに近付いていく」アプローチが「作る側」に対応して,「パソコンが人間に近付いていく」アプローチが「使う側」に対応することになります。「作る側」は「使う側」を「アホ」と言い,「使う側」は「作る側」に「C:\Congratulati.ons」と言う。そんな構図が,近頃のネット界隈を見ていると垣間見られます。

そういうわけで,Web2.0 な世界では,「アホ」が増殖するわけですけれど,こうした分化は一度始まったら止まることはないんだと思います。「作る側」の社会的な立ち位置は,「アーキテクチャを左右できる立場にありながらマイノリティにある」といったもんになる。一方で,「使う側」の社会的な立ち位置は,「既存の環境(アーキテクチャ)を所与のものとして受け入れなくちゃいけないもののマジョリティにある」というヘンテコなネジレが生じるはずです。Web2.0 的民主主義というのは,そういうもん(話が飛びすぎたか)。

以前,『ウェブ人間論』を読んだときの感想で,「これからは自分の妄想や理想を,現実に実装するスキルが重要になる」みたいな話をしたけれども,背景としてはこういった「関わり合い方の分化」を踏まえていたのでした。「作り手」と「使い手」がこれからますます分化していくとき,両者を架橋するスキルというのは断然重要になると思うんですけれど,どんなもんなんでしょ。

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