Entry

読書メモ - 真理などは馬に食わせてしまえ

2007年01月28日

読み残し消化月間なので,『科学はどこまでいくのか』をぼちぼち読みました。出版は1995年なんですけれど,文庫版は2006年ということで,「文庫版のためのやや長いあとがき」が付されています。

科学はどこまでいくのか
池田 清彦
筑摩書房
売り上げランキング: 64811
おすすめ度の平均: 3.0
3 たのしい絵図がいろいろ

著者の池田清彦氏は,高校生の頃『分類という思想』を読んでから,度々読んでいる方です。『分類という思想』については,このサイトでも紹介したことがあったはず(多分)。

分類という思想
分類という思想
posted with amazlet on 07.01.27
池田 清彦
新潮社
売り上げランキング: 128835
おすすめ度の平均: 4.5
4 構造主義分類学
4 思想としての分類
5 なぜ生物分類法はたくさんあるのか?

同氏の著書は,科学批判が主立ったものなんですけれど,こちらは学術的な用語も少なくて割と読み易く書かれています。(自然)科学は真理の探求を求めているものの,実際のところ,これは one of them なんじゃないの?みたいな話です。「真理などは馬に食わせてしまえ」というのは,本書にいわゆる表現で(p188),あたしが言ったことじゃありません(と,責任逃れしておく)。

本書の前半は,ギリシア哲学から現代(自然)科学に至るまでの思想的な変遷を辿るもので,いわゆる科学史の話になっています。ここら辺の話については,他の著書とそれほど変わりがないので,馴染のある方はスラスラ読めるんじゃないでしょうか。一方で,面白かったのは,本書の後半。(自然)科学と科学者と社会の関係を扱った,「制度としての科学」以降はニヤニヤさせてもらいました。以下は「理科ばなれ」を扱った一節。

科学の内部における競争は激しく、競争に勝ち抜いて、たとえばノーベル賞をとるためには、ほかのことにはわき目もふらずに研究をしなければならない。競争に勝ち抜いてノーベル賞をとって、社会的な発言力を獲得しても、政治や経済や社会や文学や芸術に対する知識は素人と同じであるから、発言を求められても、そのへんのオッサン以上のことが言えるわけのものでもない。これでは志ある若者の尊敬をかちとることはできない。大学での理学や工学の教育も、一般教養を軽視して、すぐに役立つマニュアルばかり教えるものだから、この傾向にはますます拍車がかかる。

『科学はどこまでいくのか』(池田清彦,筑摩書房,2006年,p184)

大学が一般教養を軽視する傾向にあるのは,理系に限った話ではなくて,現に法学部にいたあたしの周りでも言われていました。また,いわゆる「専門バカ」もどの分野にもいるわけで,そういう人が専門を離れたときに,「そのへんのオッサン以上のこと」を言えるわけじゃないのも同様です(言わせる方がイケナイ)。ただ,理系分野の場合,専門は人の住む社会から離れた「真理」の話ですから,「真理などは馬に食わせてしまえ」と思っている向きが多い社会では生きにくいんじゃないか,とは思います(分野にもよるんでしょうけど)。

一方で,本書の前半に話を移すと,(自然)科学が扱う「真理」って何なのよ,という話をしています。ここは,自然科学系の学問に進む向きには,是非とも読んでほしいところ。というのも,自然科学系の向きにとっては,自分が専攻する学問の基礎を固める素材になるからです。

「基礎」というのは,「初歩」という話ではなくて,科学がどういう価値や認識に基く営為で,何を目的にしているのか(あるいは,していないのか)という話です。言うまでもなく,科学は「真理を追究」するわけですけれど,その「真理」って何なのよ,となると,せいぜい(形式)論理的に考えること,程度の答えが返ってくるだけだったりします。

これはあたしの話になっちゃうんですけれど,ある分野について,本を読むなり人の話を聞くなりしていると,ある種の万能感を得ることができます。「この話で全ての事象を説明できるぜ!」みたいな感じの全能感です。ただ,その後しばらくすると,その分野が取りこぼしていることや,あえて「見ないこと」にしているアレコレが目に付くようになってきます。法律は万能に見えるけれど,こういう問題は扱えないとか,経済学はすごいけれどコレはちょっと違うんじゃない?とか,そんな具合。

つまり,そこには,ある種の諦めがあるわけです。万能じゃねーじゃん,みたいな。

けれど,そこでの諦めは,ある意味「割り切り」と同じようなもんで,「ここまでしかできない分野なんだ」ということを自覚する作業なんですね。あたしゃ法律を勉強していたわけですけれど,デキる人程そうした割り切りができていた気がします(あたしゃあまりできなかったんですが)。世の中には,「法律なんて所詮自民党が作った(略)」とか,「運用でカバーとかいうのは(略)」とか,そういった(素人からの)批判があるわけですけれど,そういうもんは既にその人の中で通過済みだったりする,と。

言い替えれば,「割り切る」というのは,「対象として見る」ということで,一歩引いたところからその領域に関わることなんだと思います。ある領域,例えば法律の領域にベッタリだと,「所詮自民党が(略)」みたいな素人的で無垢な疑問には,却って答えられないはずです。

特に,自然科学系の分野の場合,この手の万能感は割と強い方でしょうから,是非とも「基礎」を踏まえてもらいたいものです。……って,誰に言ってるんだ。

基礎というと,あたしゃ,自分の「立ち位置を踏まえる」という言い方をよくするんですけれど,ここで言う立ち位置というのは,自分に何ができて何ができないのか,繰り返し問い直すことだったりします。つまり,自分のしていることがどういう認識の下で成り立っているのか,自覚するということ。それがないと,「所詮自民(略)」的なイタい話をせざるを得なくなるからです。まさに、冒頭で引いた「そのへんのオッサン」が言うことを無自覚に(しかもエラそうに)言っている状態です。それでも,あたしゃあちこちでイタい話をしているわけで,にんともかんともなんですが。

ともあれ,本書は,(自然)科学が何に基いていて何ができるのか,そして何ができないのか,そういったもんを考えさせる,いい材料になるんじゃないかと思います。「真理などは馬に食わせてしまえ」とか言いつつ,研究に打ち込む科学者がいれば,むしろそっちの方がホンモノなんじゃないか,とか思ったりして。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN