Entry

機械に対する嫌悪感はどこから来るんだろう,という話

2007年02月03日

いい時期なんだかどうだか分からないけれども,「子どもを産む機械」と言われたときの嫌悪感はどこから来るのだろう,と思うと,ちょっと興味深いです。

「モノ扱いしてるんだから嫌悪して当たり前だろう」みたいな話は,あたしも重々分かっているので,ここで問題にするつもりはありません。そういうのは分かってる。

ここで問題にしたいのは,機械と対比されることから来る嫌悪感ってのは,それ特有の嫌悪感なんじゃないか,ということです(後述する通り,あちこちで言われていることですが)。極端な対比をすれば,同じモノでも,「女性は子どもを産む宝石だ」とか言われたら満更でもない人が出てきそうなものの,なんで機械じゃだめなのさ,という話です。宝石と違って機械は動きますよ。ガシャンガシャン。

実のところ,フェミニズムの一部の流派では,機械論ととても相性が良かったりします。参考になるのは,以下の本と,

サイボーグ・フェミニズム
ダナ ハラウェイ 他
水声社
売り上げランキング: 270,540

こちらあたりでしょうか。どちらも,ダナ・ハラウェイです。

猿と女とサイボーグ―自然の再発明
ダナ ハラウェイ Donna J. Haraway 高橋 さきの
青土社
売り上げランキング: 357754

あたしゃ昔から,「女性が!女性が!」と連呼するようなフェミニズムは,「女性」という言葉を発することで,却って女性になってしまう(もちろん社会的に)ところがあると思っていて,戦略としてあまり効果的でないと思っていたのでした。同様に,男性をボロクソにこきおろすタイプのフェミニズムも,単に自己の女性性を際立たせるだけで,どこまでいっても男性の論理の上で行なわれていることには変わりがない……と。

その点,サイボーグ・フェミニズムは分かりやすい。思いきり端折ってまとめると,性のないサイボーグになって,男根ロゴスでくそったれな世界をひとつ残らず脱構築してやるぜ!みたいな話です(却って分かりにくくなったな)。個人的には,「女性が女性を語ることで女性になってしまう」といった問題にひとつの解決を与えてくれる話でした。で,そういうところからしてみると,「子どもを産む機械」なる言い回しは,多少矛盾があるものの,基本的に受け入れられるんじゃないか思うんです。むしろ,「よく言った!」くらいの勢いで。

と,いうわけで,「子どもを産む機械」と言うことと,フェミニズム的な意味で「女性」を蔑視することとは,簡単に直線で結ぶことはできないと思うんですね。嫌悪感があるとしたら,「女性に対して発せられた」ことよりも,むしろ「人を機械扱いした」ということに求められるんじゃないか,と……。女性じゃなくても,例えば「集票マシーン」なんて言葉は蔑視が含まれているし,「農民は米を作る機械だ」とか言われたら農家の方は怒ると思いますから。この点で,参考になるのが,以前も紹介した以下の本。

第四の境界―人間‐機械(マン‐マシン)進化論
ブルース マズリッシュ Bruce Mazlish 吉岡 洋
ジャストシステム
売り上げランキング: 403922
おすすめ度の平均: 5.0
5 人工物と人間のこれまでを振り返り、これからを考える

機械を嫌悪するときの嫌悪感というのは,機械が人間の似姿だからというところにある感じがします。キリスト教の神様は,自分の似姿として人間を作ったそうだけれども,人間は自分の似姿として機械を作る。一方で,その機械は,人間にとってどう映るのか。少し長くなるけれど,引用します。

死のテーマは、機械的世界を人工的で生命なきものとして見ることから生まれる。一般化された恐怖感であった。このテーマは、実際の産業革命よりもはるか以前に、フリードリヒ・シラーの著作の中に現れていた。かれのおおよその見解によれば、製造業の新たなシステムが人間の「有機的な」生を破壊し、後に残るのは単なる「利口な時計だけで、その中では無数の命を持たない部品が互いに組み合わされることによって、機械的な種類の集合的生命が保たれている」。コールリッジは、はっきりと次のように述べる。「機械の哲学は、人間の知性にきわめて相応しいあらゆるものの中に〈死〉を響かせる」。

だが機械化と精神および肉体の死とのもっとも完全な同一視は、シラーにもっとも忠実なイギリス人であったカーライルの中に見ることができる。実際、カーライルの重要性は、多くの同時代人だけではなく今日の人々までが、産業化に対して反応するときの調子の基礎を据えた点にある。

カーライルの立場を表す最も重要な著作は『エジンバラ・レビュー』に掲載された「時代の徴候("Signs of the Times")」(一八二九年)および『衣服の哲学』(一八三三〜一八三四)である。カーライルにとって、現代生活を示す第一の徴は機械であり、かれはそれを容赦なく「生命を持たない」「鉄製の」「抵抗しない」もの、そして「〈愛〉の神秘の泉とは正反対の」ものとして特徴づけた。かれは言う。「もし今の時代の特徴をひとつの形容詞で言い表せと言われたら、それは〈英雄的〉でも〈敬虔な〉でも〈哲学の〉でも〈道徳の〉でもなく、他の何にもまして〈機械の時代〉であると言いたくなるだろう。現代は、言葉の外的・内的なあらゆる意味において〈機械の時代〉なのだ……直接手を用いてなされることは何ひとつなく、すべては規則と入念な計画によってなされるのである」。

こうした非難はさらに拡大される。「外的・物理的な世界だけが機械に支配されているのではなく、内的・精神的なものもまたそうなのである……同じやり方がわれわれの行動様式ばかりではなく、われわれの思考や感情までを規制しているのだ」。そしてその後に有名な文句が来る。「〈人間〉は手だけでなく、頭と心も機械化されてしまった」。

『第四の境界―人間‐機械(マン‐マシン)進化論』(Bruce Mazlish,吉岡洋,ジャストシステム,1996年,pp127-128)

個人的な感触として,「子どもを産む機械」という言葉の響きにゾッとしたものを感じるとしたら,それは〈死〉から〈生〉が生じることからくる違和感なんじゃないかと思ったりします。機械は〈人間〉の〈死〉を想起させる。

少し話が飛ぶけれども,「集票マシーン」という響きにあるモノも,人間の〈死〉であって,それは民主主義の〈死〉でもあるわけで,つまるところ自由の〈死〉を表す,と。女性を「子どもを産む機械」というのが NG で,一部の有権者を指して「集票マシーン」と称するのが OK ってのには,ちょっと分からないもんがあるんですけどね。

とにもかくにも,機械はあらゆる場面で,人間的なものの〈死〉を象徴する。日本は機械に対して親和的で,現にアトムが愛されてる,なんて言われることもあるけれど,アトムだって元はといえば死体から作られたのでした。

あたしはというと,以前もお話した通り,「機械になりたい!」ってな欲望に割と自覚的だったりします。そんなもんで,自分が機械呼ばわりされてどうこうということは,あまり無いんですけれど,機械から生身の人間が生まれるところを想像すると,ちょっと気分が悪くなるかも……。絵的には SF ちっくでカッコイイんですけどね(そういう映画か何かあったっけ)。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN