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「自分の考えを持つべし」という制度というか宗教

2007年04月19日

「考え」なるもんは,自分ひとりででき上がるもんじゃなくて,意識しててもしてなくても,大抵他人の考えをパクったものだったりします。そういう意味で言うと,「自分の考え」なんてもんはなくて,他人の考えを寄せ集めたもんが,まぁ「考え」なるもんになる,と。

で,この頃「自分の考えを持つべし」という話をちょっと考えているんですけれど,仮に真に独創的で誰の手も借りないで出来上がった「考え」なんてもんがあるとしたら,それは究極の意味で「主観的」な思考なわけで,これは傍から見たら狂気としか思えないんじゃないか,と思うんですね。直感ですけど……。んでもって,おそらく,「自分の考えを持つべし」という話は,「狂気万歳!」とか言っているわけではないと思うので,結局これは,「他人も理解できる自分の考え」というか,主観的客観というか,そういうもんなんじゃないかと思ったりします。

そうだとすると,「自分の考えを持つべし」という命令は,ある意味,制度的な命題に近い。

つまりですね,あたしが思ってるのは,「どういう考えが『自分の考え』なのか」といった話は,実はどうでもいい話で,ちゃんと考えなくちゃいけないのは,「どういう『考え』が,『自分の考え』として『制度的に』受け入れられるのか」ということなんじゃないか,ということです。この意味でも,「自分の考え」なるもんは,自分ひとりでできるものじゃない。「自分の考え」なるもんは,社会的なもの。「自分で考えた思考」ということではなくて「自分で考えた思考と(他人から)みなされた思考」というコト。

そうしてみると,「自分の考えを持ちなさい」という命令に基いて「自分探し」をすることは,目標がズレているようにも思えます。なぜなら,答は自分の中にあるわけではなくて,むしろ他人というか社会というか,とにかく自分以外のものにあるはずだからです。独創的な考えを持っている(と言われている)人というのは,世間離れしているのではなくて,逆に自分の考えが社会的にどのような位置付けを占めるのか,敏感に察知できている人なんじゃないか,と。

問題は「自分の考えを持ちなさい」という命令を発している人が,どこからどのように発しているのか,ということです。ちょっと考えると,オリジナリティに対して過度に価値を認める価値観は,なんとなく個人主義的な雰囲気や私的所有的な思想と結び付きそうな感じ。けれども,本当にそれだけの話なのか,と自問してみると,なんとなく腑に落ちない感じが残るんですよね……。もうちょっと,つらつらと考えてみることにします。

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