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法律の議論に「常識」を持ち出すのはあまりよくない

2007年05月31日

……と,ちょっと思いました。

どうしてか。まずもって,常識で解決できる問題だったら,そもそも警察もとい法律はいらないから。常識で済まない話を無理矢理「常識」なる言葉でくくってしまうとき,それは大抵,論者の道徳観であるとか倫理観であるとか,そういったもんになってしまいます。このことは,社会的な良識論(ホゲホゲの品格とか)なるもんが,単純にオレ論に終始してしまっている点を見ても分かる通り。

法律の話(特に立法論)で難しいのは,それが広範囲に亘ってしまうことです。論者も意識していないケースについても,法律は他の場合と同様に「適用」されることから,論者は議論のプロパーをあらゆるケースに張り巡らさなくてはいけません。また,法律そのものも体系を持っていることから,その法律(とか条文)だけをどうこうできることってのはあまりありません。大抵は,他の条文や法律(その他法解釈等もろもろ)との整合性を維持していく必要があります。

こういう面倒を「常識」の一言で済ませてしまうと,結局議論が発散してしまうわけで,にんともかんともな話になっちゃうと思うわけです。そういうわけで,法律論で「常識」なるもんを議論の最終的な拠り所にしている話は,あまり信用できない,というか関わらない方がいい。

法律の話の場合,「著名な論者が言っているから」みたいな「人による判断」よりも,論理的な辻褄の方が先に立つことが多いので,論者が誰かを知らなくても議論の良否を判断することができるんじゃないかと思っています。論理的な辻褄の合わない(人による判断)が妥当する話ってのは,もはや法律論ではなくて政治の話。んでもって,トンデモな話をしている人が,世間的には知識人とかいう人だったりすると,トホホ感が漂ってしまう,と。

なんだかなぁ……トホホ。

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