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古舘伊知郎氏はいったいいつの時代に帰りたいんだろうと思う

2007年07月01日

古舘伊知郎氏に限った話ではないんですけどね。代表させて……。

先日,久しぶりに見た報道ステーションで,北海道の DV 事件が報道されていたんですけれど,そこでの古館氏のコメントにこんな話がありました。例によって記憶に基いているので,趣旨だけをかいつまんで引用にします。

DV という言葉の意味がすぐに通ってしまう時代になったんですねぇ……云々。

行間を読ませるコメントなので,下手に触ると「そういう意図でした発言じゃない」みたいなことになりそうなんですけれど,つまるところ,DV(Domestic Violence)なる言葉が一般的になったということは,「DV」なる現象そのものが一般化したということだ,といった推論を求めているようです。実際のところ,2001年に施行された DV 防止法以来,警察への相談件数は増えているみたい(参照:ドメスティックバイオレンス - Wikipedia)。いやなご時世になりましたね,ほんと(棒読み)。

ただ,難しいなあと思うのは,この認知件数(相談件数)の読み方です。というのも,DV なる言葉がない時代も DV はあったわけで,DV が DV として認知されなかっただけ(言葉がなかっただけ)だったりするからです。現在の認知件数にしたって,暗数は相当な数にのぼるはずです。そうしてみると,古館氏はいったいいつの時代に帰りたいんだろう……という話に。「あるけれど目を背けていた時代」に帰りたい,ってことなのかな。

もともと,DV 防止法が制定されるにあたっては,法の格言(法諺)である「法は家庭に入らず」との兼ね合いが問題となったのでした。つまり,私人どうし(特に家庭内)の関係に法律(公法)は関与すべきでなく,私人どうしで解決を図るべきだ,といった話です。そうした話を背景にして DV は隠されていた。そんなもんで,DV が社会問題として認知されてこなかった側面を内省するならまだしも,懐古談にしちゃうってのは,なんだかなぁ……な感じになってしまうわけです。

古館氏の言動には,厭世的というか終末的というか懐古的というか,つまるところ「あの頃は良かった」な話が目立ちます。こうなっちゃうと,もうそこらのおっさんが暇さえあれば口にする「近頃の若者論」とさほど変わりません。わざわざテレビで言う必要があるのか,と。そういう話だけをしたいなら(あるいは聞きたいなら)「美味しんぼ」にたくさん載ってるぞ。

社会問題を指し示す「言葉」は,見えなかったもの,あるいは目を背けていたものを,社会問題として認識するための道具なわけで,おっさんの懐古談のためにあるもんじゃありませんよね。一方で,懐古談はウケがいいのもたしかな話。特に一部の人には。

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