Entry

読書メモ - 理性に対するなんとはなしの頼り無さ

2007年07月04日

ボチボチ先日の「ウィトゲンシュタイン入門」「論理哲学論考」を一読したので,全集あたりに手を出してみようかと思っています。でも,やっぱり高いなぁ……。そういうわけで,とりあえずは読後の感想から。

ウィトゲンシュタイン入門
永井 均
筑摩書房 (1995/01)
売り上げランキング: 30566
おすすめ度の平均: 4.0
4 断念して品位を保つ
4 独特の観点
4 立派な態度

個人的に,本書はウィトゲンシュタインの入門本というより,自分と同じような疑問を持っている人がいることを確認させてもらうような本でした。「同じような疑問を持っている人」というのは,著者である永井氏しかり,ウィトゲンシュタインしかりです。

あたしがこの手の思想書を読み出したのは,10代の後半くらいからなんですけれど,その頃からこれまで,どんな本を読んでもいまいち理解した気になれなかったのでした。当初から疑問に思っていることに,この本はまったく答えてくれない……みたいな感覚です。ウィトゲンシュタインにしても,本書にしても,そういった感覚は残るんですけれど,少なくとも本書では,どこら辺がモヤモヤしているのか,少し輪郭をつかめたような気がします。

あたしが当初から疑問に思っていたことというのは,端的に言うと「書き手の特権的な位置付け」でした。これについては,このサイトでも何度か話題に出しているんですけれど,当初からこの手の書き物は「書き手自身の位置付け」に対してとても無頓着な印象を受けるんですね。

どういうことかというと,例えば,「神が存在するか」みたいな話について,いろんな人があれこれ言うわけです。「いる」とか「いない」とか。それはそれでいい。けど,「神が存在すると言える人」はどういう人なんだろう,と考えたとき,その著者は神を超えなくちゃいけないんじゃないか,とか思うわけです。同様に,超越論的な哲学命題にしても,超越論的な空間を超えていなければ「言葉」として現われないんじゃないか。ここら辺の話を,本書では次のように説明しています。

われわれはものごとを、存在したりしなかったり、安全であったりなかったり、といった可能性の空間の中で把握する。ところが、その空間中に位置づけられた一事実ではない、空間そのものを、あたかも空間の中の一事実であるかのように、もう一度その空間の中に入れてしまうということが、ここで問題になっていることである。

『ウィトゲンシュタイン入門』(永井均,筑摩書房,1995年,p100)

書物の中で,絶対的なナニカや形而上学的なナニカを「語る」こと自体,そもそも可能なのか……と,こんな感じのモヤモヤを頭には持っていたというわけです。

あたしの場合,そこら辺の話を比較的リアルに感じたのは,大学で「授権規範」の話を聞いたときでした。授権規範というのは,ある主体(例えば国家)に特定の権利や権限を授ける規範のことです。憲法は国民の授権に基く範囲で下位規範(法律や条例・政令)に権限を委ねることになっています。すると,この授権規範の「正当性」はどこから来るのだろう……とか思うわけです。もちろん,ここで求めている答えは文理解釈であって,政治闘争のようなパワーゲームを抜きにした説明です。

ここで,当然のように「国民主権の憲法だから『国民』に正当性の根拠があるんでしょ?」という話が出てきます。けど,その「国民」はなぜ憲法そのものの正当性を担保するだけのナニカを持っているの?という話になる……。欧米的な考え方だと,ここでは「神様がくれたんだよ」みたいな説明になるけれど,東洋的な考え方ではピンと来ませんよね。そもそも,その神様は「信教の自由」も担保する正当性を与えられる程,寛容な神様なの?みたいな,こまごまとした話も……。「人間の人間性に基いている」とかいった説明もあったっけ。

とにかく,ここら辺の話を読んでいて,とにもかくにも「ダメだこりゃ」と思っちゃったんです。どこまでいっても言葉が繋がるばかり。

そういうわけで,あたしゃ大学のはじめの頃に,理性やら形而上学やらに対する,なんとはなしの頼り無さみたいなもんを感じてしまったというわけです。ある種の諦めみたいなもんでしょうか。法律一般に対しては,「そういうことになっている」と考えることにして,ベタな理念や価値感からは意識的に距離を置く姿勢をとっていた覚えがあります。

ウィトゲンシュタインの話に戻ると,彼は憲法が神様由来であれ人間性由来であれ,(乱暴に言えば)本質的に「どうでもいい」と言い切っている人のように見えるわけです。一方,「どうでもいい」ことを「どうでもいい」と「語る」ことは,それ自体「どうでもいい」わけで,その「どうでもいい」も「どうでもいい」わけで,つまり,この「どうでもいい」は無限に続くわけで,結局何も語ることのできない場所に到着することになります。こうした自己否定を通じた方法をあえてとるところに,彼の誠実さや(裏を返せば)潔癖さが見える気がします。

本書を俗っぽく読めば,「ともかくあたしゃ生きている。やぁ,空が青いなぁ……(梅雨だけど)」みたいな心境にもなるってもんです。お勉強中で煮詰まってる方なんかは,是非どうぞ。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN