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今日読んでいたもの - 『恐怖』(というか筒井康隆)

2007年07月09日

昼過ぎに起きて,本屋で購入。本屋の隣りの喫茶店で読んでいた本。

恐怖
恐怖
posted with amazlet on 07.07.08
筒井 康隆
文藝春秋 (2004/02)
売り上げランキング: 228632
おすすめ度の平均: 3.0
2 ホラーとしてもミステリとしても
3 往年のパワーは
1 もっと怖いのを期待したが

あたしゃ筒井ファンでもなんでもないので,著者本人についてはあまり言うことはないんだけれども,この人の作品を読む時は,どうしても「筒井康隆」本人が出てきてしまいます。「筒井氏の著書」であることを前提に読むことを強要されるような感じ。まぁ,それはそれでいいんですけれど,少なくとも本作品に限っていうと,同氏そのものにまとわりつく,「実験」とか「スラップスティック」とか「ブラックユーモア」とかいった言葉が裏目に出ている気がします。

もちろん,どんな小説にも著者の自意識が反映されるもんだと思うんですけどね。ただ,筒井氏の作品の場合,その自意識がモロに出ているというか,新鮮さを保ったまま封じ込められているというか,もうちょっと隠せよというか……まぁ,そんな感覚があるわけです。安部公房のような,自意識を隠し過ぎてわけのわからんことになっているような小説が好きな人にとっては,作品と著者本人のコントラストがきつすぎる。

本作品は,いわばメタ・ミステリーと呼べるようなもので,ミステリー一般を対象化して茶化した後にストーリーそのものを解体していく……といった構成になっています。主人公が「文化人」なる位置にいる小説家であることや,それっぽいエピローグや真犯人の自白シーン,それに殺人の動機となるようなエピソードが,極めて「棒読み」的に描かれていることからも,ミステリーをメタ化して語っていることを印象付けています。その意味で言うと,本作品の「棒読み」部分は,あくまでも「棒読み」として読まなければならないわけで,棒読みだからつまらないと評価するのは,「そりゃあたり前だろう」という話になってしまうんだと思います。

もっとも,本作品をメタ・ミステリーとして読んだとして,それがヨクデキタ作品と言えるのか,あたしゃちょっと考え込んでしまいます。おそらく,この作品のメタ的な「位置」は,主人公から捉えた事件のメタ的視点と,著者から捉えたメタ的視点の2つがあるんだと思います。主人公は事件について(メタ的視点から)考え込むうちに,アガサ・クリスティなんかを想起しつつ,勝手に恐怖に落ち込んでいくわけですけれど,その様子をさらに上位にいる著者がメタ的視点で(かつ棒読み的に)描いているというわけ。ただ,このうち後者の視点,つまり筒井氏の視点をどう捉えたらいいのか,あたしゃよく分かりませんでした。んでもって,本作品の場合,このまさに後者の視点を読むことに醍醐味があるんじゃないかと思うんです。

おそらく,こうした二重化されたメタ的視点なるものは,筒井氏の真骨頂なんだと思います。けれど,それを読み解こうとすると,結局「オレの自意識を察してくれ」みたいな空気が漂って誤魔化されてしまう。いわゆる筒井ファンは,そういうもんを察することができるのだろうけれども,あたしみたいなペーペーには土台無理な話です。冒頭で,筒井氏にまつわる言葉が裏目に出ている気がする,といったのは,おおむねそんな意味。

と,そんなわけで,本作品を単純にミステリーとして読むと,棒読みだらけでつまらない,ということになりそうだし,メタ的視点で読んでも素人には分かりづらい,という評価になってしまうような気がします。結構読む人を選ぶ作品なんじゃないなかぁ,と思った,梅雨のひとこま。

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