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なんとなく今日思い出したこと

2007年07月17日

こちらを読ませていただいて思ったこと。本文とは直接関係がないので,紹介だけ。

たけくまメモ : フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 

小学生の頃,周りには大工になりたいと言っていたけれど,本当は漫画家になりたいと思っていました。実を言うと,大工になりたかった時もありました。けれど,業務(実務?)では,トンカチで釘を打つのではなくて,釘打ちガンを使うということを知ってから,なぜだか知らないけれど,急速に大工への憧れを失ったのでした。

ともかく,小学生のあたしは漫画家になりたかった。もちろん,これといった職業意識はなかったわけで,パン好きな子がパン屋になりたがるのと同じような水準で,漫画好きのあたしは漫画家になりたかった。ただそれだけです。

一方で,漫画家になりたい,という時──これは今でも不思議なんですけど,必ず出てくる話に以下の文句があります。

  • 「漫画家になりたい」というと,「才能がないと食っていけないぞ」と言われる。
  • ちょっと絵が描けると,「漫画家になれるんじゃない?」と言われる。

「食っていけない」と言われつつも「なれるんじゃない?」と言われる。時には,同じ人からふたつの文句を同時に言われたこともありました。ともかく,この背反した文句が必ずどこからか滲み出してくるのです。あたしゃ職業意識なんてこれっぽっちもない小学生だったから,普通にやり過ごせたのかもしれないけれど,もう少し大きくなって,自分の職業として考える段になってからこんなことを言われていたら,二重人格にでもならない限りしんどかったんじゃないかと思います。

時を経て,「才能がある人」というのは「才能がある」と周りから認められた人のことだ,と気が付いたのは,大学に入ってからで,「才能」なるもんが先天的または後天的に「備わる(備わっている)」もんでもない,と分かったのもその頃でした。仮にそういうもんが備わっているとしても,それは本人からは分からないし,どんな専門家であっても「社会的な条件を抜きにして」才能の有無を判断することはできない。したがって考えると,「才能がないと食っていけない」というのは,ある意味当たり前のトートロジーなわけで,「漫画家として周りから認められていない人が漫画家として働くことはできない」と言っているだけだと思ったのでした。

その道の人の職業論というのは,ある意味こうしたトートロジー的なモノが多くて,結局のところ「オレみたいになれ」と言っているだけ,ということが多かったりします。才能論もそのひとつ。結果論っていうんですか?こういうの。

もっとも,漫画に関する限り,ただ絵が上手いだけじゃダメなんだとは思います。小学生のとき,藤子不二雄氏の漫画の書き方入門だかなんだかの本を持っていたんですけれど,そこには「漫画家は映画監督とカメラマンと脚本家を同時にやるような仕事だ」みたいなことが書かれていた記憶があります。これがその通りだとすると(その通りだと思うけれど),カメラマンとして最高の絵を撮れるだけじゃ,立派な作品は生まれない。いや,なにも立派な思想を持っていろ,とかいうんじゃないと思うんですね。ただ絵を描くだけではなくて,コマ割りで作られた絵の連続で表現したい何かがあるかどうか,といった話です。

だからですね,漫画家になりたいから絵の練習をしよう,というのも分かるんですけど,個人的にはもっとやることがあるんじゃないかなぁ,とか思うわけです。また,絵がちょっと描けるだけで「なれるんじゃない?」とか言うのもどうなのかなぁ……とも思うわけです。まぁ,誉め言葉を穿っても,仕方ないんですけどね。

なんとなくまとまりがつかなくなっちゃったんですけど,ともかくそんな感じ。

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