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読書メモ - スプートニクの恋人

2007年07月20日

なんとなく読まないで積んでいた本を読もう週間ということで,今日読んでました。ややネタバレ注意です。

スプートニクの恋人
スプートニクの恋人
posted with amazlet on 07.07.19
村上 春樹
講談社 (2001/04)
売り上げランキング: 5809
おすすめ度の平均: 4.0
4 類型的に思えるが、やっぱり読んでしまう
5 単純にいい
5 ただのラブストーリーではない

Wikipedia の紹介(参照:スプートニクの恋人 - Wikipedia)によると,この作品は村上春樹の小説の中では難解だと言われているそうです。あたしゃ,同氏の作品といえば『1973年のピンボール』と『ノルウェイの森』くらいしか読んだことがないので,へぇ……の一言だったんですけど,たしかに巷の感想を読んでいると,解釈なり分析なりが多岐に亘っているようです。

あたしとしては,割と素直に読んだつもりでいて(と自分で言うのも変だけれども),「生」を象徴するような血や肉と,無機質な人工衛星スプートニクとの対比がきれいに表現されている作品だと思いました。どこまでいっても孤独な人間が,「他人(ひいては「私」自身)と関わる」とはどういうことなのか。

ここら辺の話については,すみれの発話が印象的です。

「あなたと会わなくなってから、すごくよくわかったの。惑星が気をきかせてずらっと一列に並んでくれたみたいに明確にすらすらと理解できたの。わたしにはあなたが必要なんだって。あなたは私自身であり、わたしはあなた自身なんだって。ね、わたしはどこかで──どこかわけのわからないところで──何かの喉を切ったんだと思う。包丁で研いで、石の心をもって。中国の門をつくるときのように、象徴的に。わたしの言うこと理解できてる?」

『スプートニクの恋人』(村上春樹,講談社,2001年,pp316-317)

ここに言う「あなたは私自身であり、わたしはあなた自身なんだ」ってのは,単なる愛の比喩じゃない。あなたの認識がわたしの認識と混じり合って,はじめてお互いに「あなた」と「わたし」を構成することができる。そうした呪術的で祝祭的で象徴的なできごとが無ければ,「わたし」は存在することができない。鏡像段階とか言ったら大袈裟だろうけども、ともかく,そんな風にあたしは読みました。他者を介在させない「わたし」なるもんは,白髪のミュウのように「抜け殻」と同じようなもんなのかもしれません。

そんなわけで,本作品のテーマについては,それっぽく自分の中では合点がいきました。もっとも,これを「お話」として読むと,個人的には,結末がどうにも解せなくて参りました。ネタバレになっちゃうので内容は控えますけど(手遅れか?),なんでこれなのかなぁ……。「にんじん」のエピソードはストーリーに乗っかっているとしても,エンディングがどうしても取って付けたもののように思えて仕方ありません。志賀直哉の『小僧の神様』に,「それ故作者は前のところで擱筆する事にした」なんてエンディングがあるけれども,それを彷彿とさせるような無理矢理感が……(『スプートニク…』は書きすぎだと思うけど)。

ともあれ,全体的にあたしの趣味によく合うもので,もう一度読もうかと思えるような作品でした。それにしても,なんでこの本今まで読んでなかったんだろ?

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