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今日読んでた本 - デモクラシーの帝国―アメリカ・戦争・現代世界

2007年08月27日

ちょっと時期を外してるんですけれど,読んでみました。

デモクラシーの帝国―アメリカ・戦争・現代世界 (岩波新書)
藤原 帰一
岩波書店 (2002/09)
売り上げランキング: 11295
おすすめ度の平均: 4.0
5 灰色の研究
3 どの辺がデモクラシーか
3 主張は分かる。が、しかし...

帝国概念はあまりにも多義的なので,タイトルに引きずられて帝国論として読むと,概念をもてあそぶだけの話になってしまいます。帝国概念を規定して,それに現在ないし過去のアメリカを当てはめてみせたところで,「それはケッコウなことで」で済まされるだけですから。そゆもんは,理論家がやればいい。それよりはもっと実際的な話として,現在(現代),殊,冷戦終結を経て9.11に至るまでのアメリカの対外政策を,文化的・歴史的・政治的にどう位置付けるのか,といった視点で読むといいんじゃないかと思います。

その点で,本書の鍵となるのがタイトルにある「デモクラシー」概念。9.11以後,アフガニスタン空爆からイラク戦争に至るまで,「自由」と「民主」の独話を何度となく聞かされました。民俗的統合を図ることができないアメリカは,理念的統合でもって国家に対する帰属意識を高める必要があるのだ云々,みたいな話はよくあるけれども,それにしたってあの時は,その「理念」が戦争の大義になり介入の口実となって,重要すぎるほど重要な位置を占めていました。あ,今もそうか。

そうした意味でもって考えると,「自由」がもたらす戦争,あるいは実践ではなく概念としての(ある行動の大義として機能するような)「自由」なるもんがどんなものなのか,再検討する契機にもなるんじゃないかと思います。

「自由がもたらす戦争」というときの「自由」について考えてみると,これは内実のない,つまり政治的なプロパガンダとしてしか機能していないのでしょうか。つまるところ,「戦争には様々な大義や美辞を掲げるものであって,ここで語られる『自由』は戦争を遂行するための方便にすぎない」とかいった話と同じようなもんなのか,ということ。あたしゃそうは思えません。つまり,自由概念が持っている逆説的な一面が,戦争の「一要因」として機能しているんじゃないか,ということ。

古典的な自由概念では,「……からの」とか「……への」とかいった自由でした。「国家からの自由」とか「国家への自由」みたいな具合。目的語を伴なってはじめて自由を認識できる,といった感じ。自由になる対象がない場合に自由はありえない,とも言えます。

けれど,ここでは自由そのものが抽象的に認識されています。9.11の報復作戦の作戦名は,「不朽の自由」(enduring freedom)(※その前は「限りなき正義」(infinite justice))とされていたのは有名だけれども,ここに言う「自由」は,目的語を持たない。現実にアメリカは厄災(不自由)をもたらしたじゃないか云々,みたいな話はさておくとしても(それは瑣末なこと),自由なるものが自由だけで成立してしまうところ,あるいは自由なるものが検証できない場所に置かれていることについて,責任というか応答可能性(responsibility)というか,そういったもんはあるんかいな,とか思うわけです。

本書の話に戻ると,アメリカの自由概念(あるいは正義概念)とハリウッド映画を対比するなど,ユニークな手法でそこら辺のところを分析しているところが注目されます。ハリウッド映画の分析については,人によっては比喩的とか印象操作的とかいった評価もありそうだけれども,分析としては分かりやすいし,ストンと落ちるところがあります。少なくとも,「口先だけじゃなくてマジで自由を大義にしてるんだ」みたいなところには,ストンと落ちる。アメリカ国内で割とリベラルだとされてきた知識人が,率先して戦争を正当化する論陣を張ったことも,実は知らなかった重要なことだったりして。すげーな,自由概念。

2002年の9月に出版されたということで,少し新鮮味が薄れているところでもあるんですけれど,現在でも参照に値する著作だと思います。

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