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大きな物語の跡地に妄想をこだまさせるの話

2007年09月07日

妄想というか想像力というか,またはそれに繋がるものとしての創造力というか,そんな話について知人と話していたんですけれど,おそらくこういうもんは,「世界を作る」ようなもんなんだろうな……みたいな話に。「世界を作る」といって大袈裟なら「環境を作る」でもいいかもしれません。ちょっと抽象的な話になっちゃうので,ご容赦をば。

「世界を作る」というのはどういうことかというと,ある事実を仮定しておいて,そこから導かれる結果や作用が,その内部で完結する(つじつまが合う)状態を作ることです。つまり,物語を作るということ。仮定する事実がどんなに非現実的なものであっても構いません。とにかく,内部で完結させる。こっちの方が重要です。

キリストにしてもマルクスにしても,天皇にしてもアメリカにしても,世界は内部で完結している。いや,内部で完結していることを世界というのかもしれません。ともあれ,そうしたもんを,文字通り想像して創造できる能力を想像力(自嘲的に言えば妄想力)というんじゃないかなあ,と。

この点で,大塚英志氏の『物語消費論』では,80年代文化が物語の創造(想像)にあったことを指摘しています。

定本 物語消費論 (角川文庫)
大塚 英志
角川書店 (2001/10)
売り上げランキング: 92035
おすすめ度の平均: 3.5
3 ボードリヤールの入門書?
1 著者の作家としての技術はどう権威付けられるのだろう
4 ビックリマン世代に読んでいただきたい。

ガンダムにしてもディズニーランドにしても,ビックリマンにしても,特定の完結した空間を前提としたサブストーリーとして展開されます。んでもって,よくできた世界は,サブストーリーを無限に増殖させることができる。

個人的な話をすると,80年代頃あたしの周りでは,物語みたいなもんを書く(描く)ことが地味に流行ったんですけれど,どういうわけかみんな「地図」から描いていたことを思い出します。世界があって(これは地理的な意味だけれど),そこから個別のストーリーが派生して生まれる……みたいなことを狙っていたかは随分怪しいけれども,とにかく物語を書くには地図が必要だった。それは,個別のストーリーが抱え込まなくてはならない法則(ルール,限界)を決定付けるものだったわけで,裏を返せば,その世界の内部における可能性を定義しているとも言えたんじゃないか,とも。

想像力の話に戻ると,こうした世界の御膳立てをすることとよく似ているわけで,個別の直線的なストーリーを包括する場を提供することに近い気がします。そのためには,個別のサブストーリーが相互につじつまが合うように,完結させる必要がある。と,ここまでが80年代の話。

んでもって,21世紀になってからの物語を考えると,80年代的な小さな物語をずらす必要があるんじゃないか……みたいな話を知人としていたのでした。ここで「ずらす」というのは,ある世界の意味を少しだけ変えて反復するということ。もう少し具体的に言うと,「見方を変えて反復する」みたいな感じです。ネットやコンピュータが身近になって,「反復すること」(複製すること)はとても簡単になりました。そういう意味で言うと,創造することはそれほど難しくありません。

それを Google が買ってくれるような世界に仕立てるには,もっと泥臭い現実を冷静に見る必要があるのかもしれません(別に Google が買う必要はないんですが)。妄想止まりになってしまうのは,そういう冷静さが欠けてるんじゃないか,と。この話そのものは,某 Web3.0 の書籍をきっかけにしているんですけれど,感想としても書評としてもまあそんなところ(あえて書名を明かさずに書評を書くという斬新なアイデア!)。

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