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線をなぞる

2007年09月08日

字を書くのが,あるいは,絵を描くのが上手い人からたまに聞く話に,自分が上手いと思う字や好きな絵をなぞって書い(描い)てみるのがいい,とかいうもんがあります。もちろん,周りには元から上手い人もいるんですけれど,そういう話をたまに聞くのです。

で,実際に,なぞって書いてみると,たしかに見ただけでは分からかったもんが分かる気がすることがあります。メタ的にただ鑑賞者になるのとは違って,実際の筆の運び方とか,画面の構成とか,臨床的というか実践的というか,そういうもんが見えてくる。

このことは,文字や絵だけではなくて,プログラミングとか楽器の演奏とか,はたまた数学の問題を解くことや料理を作ることなんかにも当てはまるんじゃないかと思います。例えば,プログラミングのような,誰が書いても同じもんになるもんですら,同じソースコードを(自分が作っている気分で)書き写すと,元の書き手が「その場で」どんな風に考えていたのか,分かるような気がすることがあります。線をなぞることで分かることもある,と,ほげほげ。

話は少し飛んで,あたしゃ高校生くらいの頃からジャズを聴いているんですけれど,当初からジャズ好きには大きく分けて2種類の人がいると思っていたりします。つまり,「演奏派」と「鑑賞派」。ジャズの醍醐味はアドリブ(即興)にあって,その場で作られる音楽や雰囲気を楽しむ,みたいな側面があります。で,高校生の頃から思っていたことに,鑑賞するお客さんと演奏者は,その「場」を共有してるんかいな?とかいうもんがあったのでした。

例えば,ライブでは,アドリブの最中に演奏者どうしでニヤリと笑うことがあります。あたしが演奏していた時の経験で言うと,この「ニヤリ」は演奏者どうしの会話に近い。「面白いフレーズだな」とか「リハより上手いじゃねーか」とかいった具合です(言葉にするのは野暮なんだけど)。んでもって,「場」を共有してるんかいな?と思うのは,ここら辺の「ニヤリ」をお客さんは共有しているのか,ということ。こんな露骨な場面でなくても,メタ的な鑑賞者と実際の演奏者の間には,やはり埋められないもの(もちろん演奏できるか否かじゃない)があるんじゃないか,と思うわけです。その点で,鑑賞派は美味しいところを失なっている……とか,思ったり思わなかったり……ゴニョゴニョ。

というわけで思うんですけれど,例えば,「オリジナリティ」や「自分探し」みたいな話は,おそらくかなり次元の高いところにある話なんじゃないかと思うわけです。ここで,「次元が高い」というのは,難度が高いとか頭がいいとかいうことじゃありません。非現実的なほどに抽象的だということです。つまり,「鑑賞派」。「失敗しない子育て」とか「コミュニケーションの作法」とかいったもんについてもそう思います。身体的で臨床的なあれこれを捨象してみたところで,同じところをグルグルと回るしかないんじゃないか,と。で,「線をなぞる」というのは,身体性を回復するためのリハビリみたいなもんなんじゃないか,と。

もっとも,他人の文字や絵を写し取るといった作業は、実のところ,かなり屈辱的なことでもあったりします。オリジナリティを折り込みたい,とか,真似をしたってそれ以上にはならない,とか,そんな風に感じることがどこかにあるはずですから。けど,その一方で,この作業に踏み込めるかどうか,というのが,ある意味ひとつの壁なんじゃないかと思ったりもするわけです。変にプライドを持っていたり,体面を取り繕っていたりすると,なかなか踏み込むことはできません。

若いもんは頭で考えないで行動だ!みたいな,ジジ臭い無謀な青春論とは少し違う意味で,「線をなぞること」ってのは案外重要なんじゃないかなぁ,とか思ったのでした。

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