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以前読んだ本 - わかったつもり 読解力がつかない本当の原因

2007年11月25日

随分前に読んで,エントリも書いたんだけれど,公開するのを忘れていた本。読解力を扱った本です。

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)
西林 克彦
光文社 (2005/09/20)
売り上げランキング: 3238
おすすめ度の平均: 4.5
4 わかったつもりに陥りがちなんだな
5 目からウロコ
4 教育学的見地

学校の国語には,「筆者の言いたいこと」であるとか,「この文章の題意」とかいった問題があるわけで,この問いに対して正答を導く力のことを「読解力」と呼ぶのでした。そうした意味で言うと,本書は学校国語の指南書みたいなもんと言えそうです。

もっとも,あたしゃ「読解力」なる言葉自体,マユツバに思うことがあるもんで,本書にいわゆる「わかった」なるものにどれほどの意味があるのか疑問だったりします。たしかに,本書にいわゆる読解力は,「特定の解釈を行うこと」ではなく,「文章全体に対して整合性を保った解釈を行うこと」と捉えられていることから,読解力に対する認識はやや緩められています。けれど,それにしても「整合性の枠内で解釈を行う」ってな話は,やはり単なるモデル論で,正確にこのような読みを実践することは難しいんじゃないかと思ったりするわけです。

つまり,「整合性の枠内」にいわゆる客観的で事実的な「枠」がある,と想定することは,常にできるものではなくて,「解釈」が「整合性」を作る,みたいな逆転があるんじゃないか,ということです。

例えば,本書冒頭で引用されている『もし もし お母さん』。ゆみちゃんの家で飼っている猫のたまが,他の家にもらわれていなくなった三匹の子猫と,電話(おもちゃの電話)でお話する話です。各子猫と話した後,お母さん猫のたまは,こんな風に描かれます(※小学生向けなので分かち書きになっています)。

お母さんねこは、子ねこたちと 話した 後、しばらく じっと して いました。それから、ほっと したように ためいきを ついて、よこに なりました。

明くる 日の 朝、ゆみちゃんが 目をさました 時も、まだたまは ねむりつづけて いました。

「あら、たまは 子ねこを さがさなくなったわねえ。もう わすれて しまったのかしら。」

と、ゆみちゃんは いいました。たまが、夜中に おもちゃの 電話で、子ねこたちと 話した ことを 知らないからです。

あたたかい お日さまが、えんがわで ねむって いる お母さんねこを てらしていました。

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦,2005年,光文社新書,pp16-17)※引用部はくぼたかし著

全編は改めて読んでもらいたいんですけれど,とりあえずこの文章を読んで,どう感じるでしょうか。本書では「適材適所のもらわれ先にもらわれていって,ほっとしたお母さん猫」と読んだようです。おそらく,そう読むのが(殊,学校的には)適当なんだとも思います。けど,解釈はそれだけでしょうか。あたしにはどうしても切ない話に読めちゃうんですね。

つまり,子猫たちと話したことが,お母さん猫の夢の中の話だとしたらどうなんだろう,とか思うんです。お母さん猫は,子猫たちと「話していない」,と読むわけです。子猫と話したことが,お母さん猫の思い込み(妄想)だとしたら……。人間がする自分ではどうすることもできないことに対して,母猫が猫なりに自分を納得させた……とかいう,切ない話に読めないでしょうか。

本書では,それぞれの子猫の性格や習性を表を使って分類したりするわけですけれど(よく学校でやることですね),前段落のように解釈する場合,これらの表は,それそのものが解釈の枠組みとして,特に大きな意味を持ちません。ということは,まずもって,「なぜ子猫それぞれの性格や習性を解釈の枠組みに採用したのか」といったところから,問いを起こしなおす必要あるはずです。端的に言えば,表を起こすことそれ自体に,特定の解釈を採用するように仕組んだ恣意性があるんじゃないか,ということです。

切ない話として読む場合,最後の一文が非常に重みを持つと思うんですけれど,どんなもんでしょ。もちろん,どちらの解釈が正しいとかいった話ではありません。

いずれにせよ,「より深く読む」とか,「より分かる」とかいった話は,結局のところ,「誰の意思(解釈)に,より寄り添うか」ということと,ほぼ同値なんじゃないかと思ったりします。あたしが,(特に文学作品について)自由な解釈を強調するのは,なんでもかんでも「読み手」の責任論(正しく読めないのは読み手が愚かだからだ)に還元してしまう思潮が,そうした意思(解釈=権力性)を隠蔽するもののように見えて,胡散臭く感じるからだったりします。少なくとも文学作品に関する限り,愚かな読みは存在しない。

そういうわけで,本書は受験的な「読み」を実践するには,良い意味でも悪い意味でも良書だと思います。でも,合格した後は,よろしく解毒した方がいいんじゃないか,と。

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