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本日のつれづれ - 女性化願望としてのオタク(その1)

2008年02月19日

多分どこかで話されていることなんだろうけれど,「女性化 オタク」でぐぐってみてもそれっぽい話がないみたいなので,常々思っていることをつらつら。

ここで言っている「女性」というのは,男性が女性になっちゃうアレとか,女性同士の物語に自己投影している私,とかいった話ではなくて,もう少し政治的な意味合いの強いもんです。つまるところ,偉い人にいわゆる「男根中心主義」の正反対にあるようなもののこと(「正反対」というのはいろいろな意味で問題があるんだろうけど)。「……主義」とか言われちゃうようなもんです。

世の中には,「秩序」であるとか「社会」であるとか,はたまた「大人」であるとか「メジャー」であるとか,ともかくそういったもんがあるわけで,こういった巨人・大鵬・玉子焼きなもんは,政治的に一定の権力があります。ここでの「権力」というのは,他人をして「無条件に」一定の行動や考え方に向かわせる力,くらいに考えておいてください。「無条件に」というところがポイントです。よく,お子様が「大人も嘘をつくのに嘘をついちゃいけないなんて言うのはズルイ!」とか言ったりするけれども,そりゃ大人が大人として大人なことを言っているんだから,(大人にいわゆる)「嘘をつくな」は(政治的・権力的に)無条件に正しい……と。

こうしたどこか胡散臭くて不条理なものを含みつつも,「メジャー」と呼ばれ「法」と呼ばれ,「社会」と呼ばれ,最近では「品格」とも呼ばれている「あるもの」は,一定の権力を持ちつつ働いている。んでもって,あたしがオタクを政治的に位置づける場合,こうした権力論を抜きにすることはできないと思うわけです。権力と対峙する方法(戦略)としてのオタク,といった視点です。

この関係で,ここ数日,『東京大学「ノイズ文化論」講義』を読んでいて,岡田斗司夫氏のオタク論も読ませてもらったんですけれど,本当に,文字通り,「オタクは終わった」と実感してしまいました。オタクは終わった。

東京大学「ノイズ文化論」講義
宮沢章夫
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4 ヒルズ族はおたく的手法を普通に身につけた世間様

岡田氏が自身の取っている政治的な態度に自覚的なのかは分からないけれども,岡田氏にいわゆる「オタク」は本当の意味で終わっている。というか,政治的な身構え方(態度)として,とても古臭く感じてしまうんです。彼は,権力とガチンコで対峙してしまっている。「巨人・大鵬・玉子焼き」がメジャーだとすれば,「オレは大洋・柏戸・アスパラガスが好きだ!」(※語感の良さで挙げただけ)と,高らかに語っちゃっうようなもんです。

例えば,三角形の底辺にオタクを据えて,「だからオタクは……」と論じる箇所だとか,社会を意識した上で「俳句好きと変わりない」といった箇所によく見られるんですけれど,「オタク」をマッチョでメジャーな「社会」に据え置こうと頑張っています。そうした態度が,権力の権力性をより補強するものになっているんだぜ!とかいった話もよく聞く話。

個人的に,オタクは権力そのものはもちろん,「反-権力」にもなるべきじゃないと思っていて,言ってみれば「非-権力」あるいは「脱-権力」として据え置くもんじゃないかと思っていたりします(「据え置く」ということが既に権力的なんだけれども)。サブカルチャーとしてのオタクが権威化してメジャーになった時,政治的な態度としてのオタクは終わる。男根的な「体系」から抜け出す態度としてのオタク,と……まぁ,これはあたしの願望なんですが。

ともあれ,「女性化願望としてのオタク」というのは,そうした意味でのオタクということ。もう少し考えたんですけれど,それはまたの機会に。

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