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「政治的に正しいこと」はおそらく「正しい」のだと思う

2008年03月20日

こちらを読ませていただいて。いわゆる「言葉狩り」の話です。

「ご主人さん」が貶下的含意をもつのは、そのような指示記号が明らかに事実を指示していない場合にあえてその呼称を用いることで「要するに、お前が社会的に何ものであるかなんてことに、オレはぜんぜん興味ないわけよ」というメッセージを発信しているからである。

あらゆる名詞は「その名詞を用いても、指示対象についての情報が少しも増えない」場合には貶下的含意を持つことができる。

悪意は語義のレベルにあるのではなく、文脈にある。

「政治的に正しいこと」は正しいのか? (内田樹の研究室)

礼儀あるいは「貶下的含意」を言葉(表現)と結びつけることは,よくある話なわけですけれど,それを言葉(表現)のレベル(どの表現が「正しい」のかのレベル)で真正面から攻撃することは,不毛なんじゃないかと思ったりします。「馬鹿っていうやつが馬鹿なんだかんね!」とか言っているみたいで……。この場合,当事者のどちらが馬鹿なのかはどうでもいいわけで,単純に,当事者が何かしらの政治-権力的な関係においてトラブっていることしか判明しない。そしてこの時の言葉(表現)に関する言説は,その政治-権力関係を示す独善的な独り言に見えます。

その意味で言うと,「あらゆる名詞は『その名詞を用いても、指示対象についての情報が少しも増えない』場合には貶下的含意を持つことができる」といった命題についても,「特定の政治的立場から」政治関係を明示したに過ぎない。この「特定の政治的立場から」というのが重要で,仮に「悪意」が文脈に依存するとしても,それを暴露する戦略は,そのものが政治的なんじゃないか,ということです。その点で,PC という言葉は,「政治関係を素描する」かのような政治外の立場(メタ視点)に立っているように見えながら,実は他方(敵)の悪意を政治的に「攻撃」する言葉だと言えそうです。政治外の立ち位置にいると見せかけて,政治の渦中にいることを隠蔽している点で,質が悪いと思ったり……と,ごにょごにょ。

言葉狩りと言葉狩りを攻撃することの不毛さをもう少し考えてもみると,そもそも「言葉を使うこと自体」それそのものが,政治的な運動の一要素なじゃないかと,思ったりします。感嘆詞は除くとしても,ある物事を「指し示すこと」それ自体が政治的である,と。

んでもって,正義(正しさ)が言葉によって指し示されている以上,正義とは政治的に正しいことなのであり,その逆もしかり,ということになるはずです。つまり,正義=政治である,と……。仮に,どこかに訳の分からない「正義」なる概念(イデア)があるとしても,それを人間は言葉無しで把握することはできないわけで,言葉を使うということは,そもそも政治関係に参与するということでもある,と思うんですね。

ネットなんかでは,「上から目線」なる言葉で他人を「指し示す」ことがあるけれども,これ自体そもそも政治的なわけで,それを「政治的」と指し示すこの文章自体政治的なんだと思います。こういうのをうまくやりくりする戦略として,文脈そのものを「ずらす」ことが考えられるわけで,パロディやキャラクターを使った文脈のずらし方は,有用なんじゃないかと思ったり。

ドアラのひみつ かくさしゃかいにまけないよ
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ドアラあたりに,「PC!PC!」とかって叫ばせてみたらどうだろう。

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