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今日読んでたマンガ - 凹村戦争

2008年04月21日

西島大介氏の『凹村戦争』。かなり前に買ったまま読んでなかったんですけど,やっとこさ読みました。

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

早川書房
売り上げランキング: 98100
おすすめ度の平均: 3.0
1 平凡以下
3 SFかな?
4 計算しつくされたテキトー
4 絵も話もさわやかでいいマンガです。
3 個人的に

西島氏の作品は,隠喩が大量に潜んでいるもんで,読み手によって読み方なり解釈なりが大きく異なるんだと思います。実際,さらっと読んだだけだと,何が言いたいのさっ!てなことになるだろうし,深く読もうと思えばいくらでも深く読めちゃう。

んなもんで,以下はあたしの読み方になっちゃいます。

本作品は「日常」をテーマにした作品。平穏で何事も起きない日常が続く「凹村」に,火星人の話題が持ち上がる。どうも凹村の「外部」は火星人にやられちゃっているらしい……と,まぁそんな話です。

平穏すぎる「日常」の閉塞感ってのは,本作品の他でもテーマにされているわけですけれど,「日常」に「非日常」を対置させるものがほとんどだったりします。それは,平穏な街に火星人がやってくる,とかいった具合に,作中で展開される対立軸かもしれないし,作品そのものが「非日常的」であることを通じて,読者の日常性と対置させるものかもしれない。いずれにしても,「日常に対する非日常」といった二項対立を保存することは,現代のエンターテインメントで重要な骨格となっています。

本作の際立っている点は,そうした二項対立も含めて,全てを「日常」に解消してしまっている点。SF の SF っぽさをほとんど骨抜きにしてしまいます。変なこともあるかもしれないけど,そんなことで崩れてしまうほど,「日常」なるもんはヤワじゃない。どんなにありえないことも,リアリティに解消されてしまう。おそらく,西嶋氏はこうした堅固な日常に対抗する手段を模索しているわけで(あとがきにもある通り),その答えとなるのが,本作の主人公,ということになりそうです。

で,作品から少し離れて思うんですけれど,「日常」を閉塞的なものとして描く動機ってのは,そもそもどこからくるんでしょう。無限に続く(と思われる)「平穏な毎日」に対抗する動機。おそらく,これ,大雑把に言えば,「閉塞からの脱出願望」とかいったことになるんだと思います。ここら辺は,読者と筆者との間で共有されているお約束なんだと思います。

けど,このテーマは,日常と対抗するにしても受け入れるにしても,結局ネガティブな評価にしかつながらなかったりもする……。というのも,日常と対抗すると「現実逃避だ」と謗られるし,日常を受け入れると「世界に自閉している」とか言われちゃうから。「日常」と密接につながっている「リアリティ」についても同じようなところがあって,マンガ的リアリティを肯定しても否定しても,何らかの批判が先回りして待ち構えている状態にあったりします。

多分,今時求められているのは,日常を受け入れることと受け入れないこと,あるいは,マンガ的リアリティはリアルであると認めることと認めないこと,のような二項対立を超える考え方なり作法なりなんじゃないか,と思ったりします。

そうした問題意識を前提に置くと,本作品のゴチャゴチャっぷりというか,身も蓋もなさも,二項対立を超えたところに足が届きかかっている感じがします。と,まぁ……オチはないんですけど,そんな感じ。

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