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本日のつらつら - 「被害」をめぐる正義のエコノミー

2008年04月23日

まぁ,いろいろなところで問題になると思うんですけれど,「事件被害者」なるもんの地位について,ちょっと考えています。これは刑事事件の被害者みたいな狭い意味ではなくて,もっと広い意味での事件被害者。天災の被災者のように,刑事事件に限った話ではありません。

で,思っているのは,この被害者の政治的な発言力がどこから出てくるのか,ということ。被害者が発する発言の政治性についてです。おそらく,被害者の政治性を問題視することは,不謹慎なところも出てくるだろうけども,ご容赦をば。なんで禁忌視されるのかってのも,もともと問題になるんでしょうけど。

大きな事件,特に社会に注目される事件において,被害者は加害者と並んで,「事件」の中心に立つことになります。んでもって,大抵の場合,加害者に求められる「政治的発言」は,他でもなく「反省の弁」。その一方で,被害者に求められる発言は……なんなんでしょ。墓前に報告する内容みたいなもんは,おそらく政治的な発言ではない。

多分,被害者に求められる発言というのは,「正義の発言」なんだと思います。被害者本人がどんな意図で発言するかは,とりあえず関係ありません。社会的・政治的に意味を持つ発言は,「その事件における正義がどこにあるのか」ということ。その答えを被害者は持っている。少なくとも,持っていると思われている。

被害者の発言が社会的な意味を持つ時点で,その発言は「みんなのもの」になります。つまり,被害者の個人的な反応が,一般的な意味での「被害への対応」に変換される,と……。被害者の語る「被害」は,個人的な身の上に降りかかった(何物にも代えがたい)厄災ではなく,一般的な意味での(交換可能な)有事になる。

おそらく,「被害者の発言」なるものの特徴は,「個人的なこと」と「社会的なこと」の混合物,というところにあるんじゃないかと思います。個人的なものに対しては,外部から干渉を加えることはできません。異論なんか唱えようものなら,不謹慎とかKYとか言われちゃう。けれどその一方,それは,社会的な意味での正義のありかをも指し示す。被害者が語る発言は,自然的な,あるいは社会的な不合理や不条理を,万人に対して交換可能な形に変形します。その意味で,被害は正義のエコノミーを形成するわけで,むしろ,正義は被害を中心に回っているといってもいいのかもしれない。

被害者の言葉がそのような意味を持つことは,社会なるもんが被害を認知する上で避けられないことなんだと思います。問題があるとしたら,被害者がその政治性を利用して,正義そのものを振りかざすことでしょうか。この瞬間,社会の思考は停止する。

揉め事の当事者が被害者の立場を奪い合うのを見るとき,「正義」を指し示すことができる(貴重な)立場を争ってるのかもな……とか思ったり。

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