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『最終兵器彼女』再読

2008年05月28日

『最終兵器彼女』を少し前に再読しました。連載中にときどき読んでたんですけど,ちゃんと読んだのは「セカイ系」なるアングルが現われて,単行本が出てからだったのでした。今回読んだのは,このアングルを一旦括弧に入れて読みたかったから。

最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス)
高橋 しん
小学館
おすすめ度の平均: 4.5
5 なんというか
5 何かしらを考えるマンガ
1 まず言える事は
1 金箔物語
2 あまり感動しなかった

Amazon のネガティブな書評を見ても分かるとおり,セカイ系なるアングルを使うと,どうしても(社会的に)一定のバイアスがかかっちゃうわけで,まぁ要するに「オタクの読み物」とかいった意味合いが強くなってしまいます。「オタクの読み物」にどういう評価を与えるかは,また別の話ですけど。

これは恋愛マンガじゃないです。
萌えマンガです。
ロリ萌えな人がウホウホ言う為のマンガですので、ストーリーとかも気にしないで下さい。
セカイ系は大体そんな感じです。
セカ中などにもある様ないわゆる「難病物」ったやつです。
みもふたもなく言えばお涙ちょうだいって訳です。
それでも安く泣けるんですからいいでしょう。
男性は感情移入出来なくもないですが、女性ははっきり言って絶対無理です。
ちせはどうみても幼女だし。
ちせは作者の空想かつ理想の彼女です。
そもそも最終巻のあとがきでは自分自身の恋愛観や青春を軽く語り、「これは私達の話なんです、シュウジとチセは私達です」ってもう言っちゃってるから、感情移入もクソもないですし。

まあ他人のノロケを嬉々として聞けるか、自分に置きかえれる単純・一筋な人は
これでも読んで、お安い涙に酔って下さい。

Amazon.co.jp: 最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス): 高橋 しん: 本

で,引用のように,「オレの主義(恋愛マンガ観)にそぐわないから気に食わん」とか言いたい向きにとって,「セカイ系」は格好の語彙になる。たしかに,この作品,あちこちの方面から食い付けるように,萌え要素だのミリタリー要素だの難病要素だのとかいった各種要素が取り揃えられているわけで,「既定の」カテゴリに振り分けて,そのカテゴリ自体を批判することも,あまり難しくありません。

ただ,こういった,あらかじめ狙って備えられているようなポイントに,いとも簡単に吸い寄せられちゃってるのを見ると,まぁ……なんだ,罠に自分からはまりにいっているようでトホホな感じがします。主人公に感情移入してお高い涙に酔いたかったんだね……としか言いようがない(感情移入できるかがポイントらしい)。

で,あたしゃ久しぶりに読んで,やっぱり魅力的な作品だと思ったのでした。というのも,この物語,構造的に秀逸だと思うから。本作品のテーマには,対立項がいくつか挙げられると思うんですけど,それらの対立項が並置されていながら,不思議と矛盾なく組み立てられています。単純にすげえな,と。もちろん,形式的に恋愛物語の語り口が秀逸だってのもあるんですけどね(過去形で語るところとか)。

対立項というのは,例えば,次のようなもん。

  • 男性的恋愛観と女性的恋愛観
  • 戦争と平和(あるいは異常と日常)
  • 「キミとボク」の関係と「セカイ」
  • 「私」と「私」でないもの
  • 自然と人間(自然に対して罪を犯す人間)
  • 機械と人間
  • 神と人間

3番目の「『キミとボク』の関係と『セカイ』」というテーマは,「セカイ系」的な言い回しなんですけれど,あたしが読む限り,4番目の「『私』と『私』でないもの」や,5番目の「自然と人間」のようなテーマに近い感じがします。というのも,本作品では,「私が存在すること」が,それ自体として周囲にどのような影響を与えるのか,といった点について,とても丁寧に描かれているからです。

しかも,この「私が存在すること」における「私」は,非常に多角的に捉えられます。「男/女としての『私』」とか「兵器=非人間としての私」とか,はたまた「神としての私」とかいった具合。主人公は,その点に罪を感じることもあれば,幸福を感じることもある。そうしてみると,本作品の主人公は,実存としてのセカイに閉じこもっているというよりは,「私」と「セカイ」の関係を模索(修復・発見)しようと試みているようにも思えます。

一方で,セカイ系にいわゆる,「公的領域」を前提とした「私=公的人間としての私」というのは,そうした多角的な「私」のひとつなわけで,相対的に記述が薄くなってもまぁ仕方ないのかな,とも(むしろなくてもいい)。

そうした中,最終話に至って,「私」(特にチセにとっての「私」)は,シュウジの中で存在することになるわけで,これがひとつの落としどころになります。これをハッピーエンドと見るかバッドエンドと見るかは,かなり揺れがありそうですけれど,個人的には「エンド」を置かない最終話だった,と解釈したいところです。そうした意味で考えると,本作で一貫して語られる「ぼくたちは、恋していく。」という文句は,単純なラブストーリーのコピーではない。

それは「歌」であり,「私が私であり私であり続けること」といった,プラグマティックな事実を「後追いで」再認識して(追いかけて)いく過程である,とも言えそうです。

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