Entry

そうしてみんなうっすらと神経症になる

2008年06月18日

と言ったのは,齋藤環氏だったっけ。文脈はかなり違うけれども,拝借させていただきます。

秋葉原の事件にまつわるネット界隈の話を見ていると,なんとなく全体的に神経症気味になっている感じがします。今度は誰が「無名の」赤木智弘にひっぱたかれるのか,びくびくしてる……というのもあるんでしょうけど,もう少し深いところで考えると,赤木氏的立場が党派性を持たない,あくまでも個々人であることに由来しているような気がします。STAND ALONE COMPLEX といったところか。

特定の政党勢力とか,圧力(利益)団体というのは,主義主張を対象化できます。ご丁寧なところは旗まで作る。だから,「サヨは」とか「ウヨは」とかいったことを語る=対象化することができるんだと思います。けれど,赤木氏的立場というのは,あくまでも立場の一例であって,その他の赤木氏類似の立場を排除するものじゃない。それは緩い連帯,いや連帯というよりもむしろ「共通性」のようなもんで,「とりあえず」くくられているだけだったりするように思えるわけです。

実際,あたしは半分ネタで「ロスジェネ」を買ったんですけれど,翌々日に起きた事件で,なんとなくそのネタを自粛しようと思ったのでした。それは,特定の非正規雇用労働者ユニオンが掲げるような(対象化できる)立場を意識したわけではなく,連想したからであり,想起したから。赤木氏的立場なるものには,そうした隠喩的な要素があるんじゃないかと思えます。したがって,赤木氏は党首にもならなければ,教祖にもならない。「外部から」観察する際,共通性を「とりあえず」認識するための,紐帯=象徴となる過ぎません。

それでは,赤木氏的立場というのは,具体的にはどこに宿るのか。それは,触れてしまった個々人において,内面化され規範化される。

まずもって,本件の犯人は,派遣社員ではあったものの,それだけが犯行に至る主たる境遇として分析されているわけではありません。また,本人の口から赤木氏的立場(世代的な原因で職にあぶれた不幸な私)を強調することもなかったように思えます。つまり,今回の事件でもって,赤木氏を連想したのは,外でもなく(あたしを含めた)「外部の」観察者だった,と。内面化され規範化される,というのは,つまるところそういうこと。

これが赤木氏の戦略だったとするならば,見事なものだと思います。赤木氏的立場は,ネットの自虐言説をも取り込んで,拡大し発散する。そうしてみんなうっすらと神経症になる。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN