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「戦う芸人」は何と戦うか

2008年07月12日

ビートたけしも戦ってきたらしいですけど,松本人志も何かと戦っているらしい……。先月号 Cut の特集は「松本人志、何と戦う!」でした。なんか戦っているらしい。

考えてもみると,芸人というのは,もともと何かしらの仮想敵を作らないと,成立しないんじゃないかと思えます。というのも,笑いなるもんは,現実をずらすことで起こると考えられるから。

笑いは構図(シェーマ)のずれであると考えられている。例えばコントなどで滑って転ぶ政治家が演じられて笑いが起きたとすると、「政治家は真面目で威厳ある人で、滑って転ぶことなどありえない」という構図を受け手が持っていて、それがずらされたことによって笑いが起きたことになる。しかし受け手の常識が「政治家に威厳があるとは限らない」「滑って転ぶことは意外な出来事ではない」「政治家が転ぶというネタは目新しいものではない」などを含むものだった場合、構図のずれが発生しないため笑いは起きない。同じ出来事に対して笑いが起きるかどうかは受け手の持つ構図に依存すると言える。

笑い - Wikipedia

ずらすべき構図が敵であって,芸人の戦う相手になる,と。そうしてみると,「松本人志、何と戦う!」なるコピーは,「松本人志は何をずらす?」ということと同義なわけで,これはすなわち「松本人志はどんな芸人か?」と言っているだけだとも思えます。

一方で,最近のお笑いってのは,ブームの割に共有される構図(シェーマ)が極端に狭かったりします。理解できない人にはまったく理解できません。この点を突いて,「笑いのレベル」とか「笑いの閾値」みたいな考え方が出てくるわけですけれど(「○○のギャグを理解できるオレは笑いのレベルが高い」みたいな話),これは明らかに間違いだと思います。ローカルギャグあるいはシュールなギャグを理解できる,というのは,芸人の戦う相手が見えるということ。つまり,芸人が作り出す構図に,合わせてあげるのが上手い観客,ということに過ぎない。

そしてこのとき,「笑い」は,受け手が持つ構図に依存することをやめ,芸人が作り出す構図に依存することになる。芸人がしばしばプロデューサまがいの事を始めたり,世界観を語っちゃったりするのは,ある種の「営業活動」なんじゃないか,と。ここで語られる世界観は,その芸人が作り出す笑いと直結している。アイドルが私事を吐露することと決定的に異なるのは,この点です。

そんなわけで,芸人は自分の作り出す構図を効果的に観客に刷り込まなくてはいけません。その一方で,観客が持っている時間は有限ですから,そこに市場が生まれます。つまり,芸人間で構図のシェア争いが始まる……と,云々。芸人が効率的に自身の構図を売り出す戦略には,次のようなものが考えられます。

  • 若い人(特に女性)が作り出すローカルなネットワークの中に,構図をねじ込む(ミーハー戦略)。
  • エリート層あるいは役付きになったくらいの人(特に男性)の,「チガイが分かる人」な自尊心に訴えて構図を刷り込む(カリスマ戦略)。
  • 特に若い男性向けに,サブカルチャーのネットワークに刷り込む(サブカル戦略)。

もちろん,メディアにたくさん出るのは,直接的で効果も高いわけですけれど,誰もができることじゃないので,省略しました。ともあれ,上記3点のどれをとっても,観客のアイデンティティに直接入り込んで世界観を植えつけます。芸人の持ちネタは,サブカル界隈ではガジェットとして利用されることもある。おそらくこうしたやり方は,ここ10数年で起きてきたことなんじゃないでしょうか。

つわけで,現代の芸人は何とも戦ってはいない。いや,戦うジェスチャーは見せているけれど,それは観客にあらかじめ売り込んで(刷り込んで)おいたシコミの敵。もちろん,それ自体悪いってわけじゃないですけどね,「シコミと戦う人」といったキャラで売り出すのも,なんだか滑稽です。

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