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集合知は統計学だって言っちゃえばいいのに

2008年08月03日

面白そうな話なのになかなか和訳が出ないから,しかたなく原書で読んでたんですけど,ようやく和訳本が出たようです。

集合知プログラミング
Toby Segaran
オライリージャパン
売り上げランキング: 896

『集合知プログラミング』がお題にしているのは,いわゆる Web 2.0 型のウェブコンテンツなりウェブアプリなりの作り方の話です。統計学上の話題がメインなので,難しげな数式がたくさん出てくるんですけど,ネットの解析エンジンなんかを作る際には必須の話だと思います。

で,本書を読んでいてつくづく思ったんですけれど,今時の(あるいはネット上の)「知」というものは,かなりの程度,統計学上分析される価値判断に近似され,正当化されていると思うんですね。つまり,「『みんなの意見』は案外正しい」という時の「みんなの意見」というのは,統計学上の分析結果であり,「正しい」というのは統計学そのものの正当性(正統性)とほぼ同一である,と。

「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー 小高 尚子
角川書店
売り上げランキング: 9265
おすすめ度の平均: 4.0
5 日本人こそ読むべき本
5 万人寄れば偉大な集合知
2 結局、何が言いたいの?
4 「みんなの意見」が、どうも納得できない人に
5 自称 玄人 の投資家の方はぜひ一読

「『みんなの意見』は案外正しい」は,テクノクラート的なものや,スペシャリスト的なものに対置させて,民衆の「知」を位置づけたわけですけれど,「民衆の知」なるものの「把握のしかた」そのものが,テクノクラート的でありスペシャリスト的なのではないだろうか。つまり,集合知はなるものは,「民衆の知恵」なり「市民の知識」なんてものではなくて,難しい数式を理解できる主体によって構築された,テクノクラート的な価値判断=理論モデルに他ならないのではないか,と,思うわけです。

そして,この集合知的なフレームワークには,テクノクラート的な「民衆の知恵」なるものを待って,バカみたいに口を空けている「民衆」(ネット市民?)なる主体が,すでに折り込まれているはずです。おそらく,Web 2.0 型のウェブサービス/ウェブアプリというのは,こうした「市民感覚」を偽装したテクノクラート的な「知」と,環境的に主体を動員する権力の様式(環境管理型権力/テーマパーク型権力)の両輪が駆動している。

東浩紀氏にいわゆる環境管理型権力の状況下では,民衆が無理矢理権力に動員されるわけではなく,主体は自分から(動物的なレベルで)権力に参画することになります。ですから,権力それ自体を対象化して「対抗する」といったお作法は,権力を批判する上であまり効果的ではない。「便利なんだからいいじゃん」といった話になってしまうから。しかし,そうした事実上の利便性は,権力関係におけるアクターを「提供者-利用者」といった関係に固定化することに繋がるんじゃないでしょうか。そしてこの,「提供者-利用者」といった構図は,そのまま「テクノクラート-愚かな民衆」という構図にスライドして把握することができてしまう。

まぁ,「愚かな民衆でもいいんだよ(便利だから)」という判断すら正当化してしまうのが,動物的な環境管理型権力/テーマパーク型権力の底なしっぷりだとも思うわけで,何を批判したいのかすらも骨抜きにされちゃうところがあるんですけどね。

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