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勝ち組のお作法は無視することであり(アンチ)ヒューマニズムを標榜することではないという話

2008年09月13日

少し前の話なんですけど,たまたま以下を読んでいて微妙な気持ちになってしまったので,書いておきます。

では、僕ならどう答えるだろうか。黙って死んでくれ、と頼む以外のことは言えないだろう。彼がそれは飲めない、と考え、僕のもとへ奪いにやってくるとしても、それを不正だと言える根拠は、僕の生きているこの世界にはない。僕らは、否応なしに、奪い奪われる関係の中に生きさせられている。奪いに来る者に対しては、それが正しいとか正しくないとかを言うことなく、ただ、全力で迎え撃つ。それだけだ。彼が、奪いに来るのではなく、ただ黙って「死に行く」のであれば、僕はそれを感謝し、ただ、弔う。

「勝ち組」の席にいて、赤木さんの言葉を受け止めるとき、述べられることはこの程度のことだ。僕は僕が引き受けると決めた範囲のことでだけ、戦う。それをどう評価し、どう迎えるのかは、赤木さんが委ねるしかない。ただ、その上で、僕は赤木さんに対して呼びかけよう。あなた自身がどれほどみじめに感じる生であっても、可能な限り生き延びて欲しい。

2007-03-22 - モジモジ君の日記。みたいな。 - 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する

こういった割り切った(ある意味で挑発的な)物腰そのものについては,あたしゃどうでもよかったりします。思うのは,勝ち組の勝ち組たる要件を踏み越えちゃったなぁ……といった,あちゃーな感じです。

勝ち組の要件として,まず挙げられることに,無根拠な安全感を無批判に共有していることがあるんだと思います。つまるところ,「理不尽な死はないし,あってはならない」といったテーゼを,(人間として)当然の原理として捉えているところがある。したがって,通常勝ち組ってのは,理不尽に死にゆく負け組なるもんを認識していないし,認識できません。その反射として,勝ち組があるのだから。

しかし,mojimoji 氏は,勝ち組として,この幻想のような安全感に批判を向けてしまった(応答してしまった)。これは大変な宣言なんだと思います。

彼がそれは飲めない、と考え、僕のもとへ奪いにやってくるとしても、それを不正だと言える根拠は、僕の生きているこの世界にはない。僕らは、否応なしに、奪い奪われる関係の中に生きさせられている。

2007-03-22 - モジモジ君の日記。みたいな。 - 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する

「自然は厳しい」とか「われわれは奪い奪われる世界に住んでいる」といったテーゼは,「でもわれわれは安全」といった,無根拠な留保がついて,インテリア程度の意味しかなくっています。しかし,そのテーゼを文字通りリアルなものとして捉えている人がいる。いうまでもなく,それはここにいわゆる負け組です。嫌味でも揶揄でもなく,mojimoji 氏は「文字通りリアルな」意味で「奪い奪われる関係」なるものを持ち出したと思うわけで,それは相当の覚悟が要ったのだと思います。個人的には,あちゃー……と思う。

一方,こうした不遇に対して勝ち組が取ってきた作法は,「無視」であり「沈黙」であったはずです。平均的な日本人が第三世界に対して取っている態度と同じ。いや,平均的な日本人には,もはやその存在すら認識されていないはずです。仮に,勝ち組にいる人間が,負け組なるものを認識しているとしたら,それはもはや負け組ではなく,制度化され去勢された制度設計上の道具にすぎません。そうして,真の意味での負け組は,社会なるもののさらに奥底に沈潜していくことになる。

勝ち組と負け組の間には,根本的にコミュニケーションの断絶があります。それは「聞けるものを聞かない」という「態度」の水準における断絶ではなく,もっと原始的な意味での断絶です。つまり,「言っていることが(ほとんど物理的に)理解できない」という水準。そうした人からすると,死刑の是非や,なぜころ問答がいくら熱心に議論されていても,根本的に安全な(だと思い込んでいる)人間の与太話にしか聞こえない。なぜなら,なぜころ問答にいわゆる「人」は,社会的市民を指しているし,死刑も社会的市民の水準で意味づけられた「社会の」作用だからです。

はなから無視されている向きには,その重要性も意味も理解できない。

しかし,「僕らは、否応なしに、奪い奪われる関係の中に生きさせられている」という文句は,まさに負け組のテーゼそのものなわけで,「生き残ること」と直結します。この動物的な水準で,問題が(少なくとも字面の上では)共有されてしまいます。つまり,ここでは,勝ち組たる mojimoji 氏が,負け組のテーゼに「降りてきた」といえる,と思うわけです。普通の勝ち組は,無視ないし認識すらしないことでやり過ごしてきた「見てはいけないもの」を見てしまった。しかも,凝視(応答)してしまった。

mojimoji 氏が理不尽に死にゆく負け組を弔うのと同様に,負け組も理不尽な不遇に遭う勝ち組を,ある意味必然的なものとして弔ってきた。この水準で,そしてこの水準でしか,両者はコミュニケーションをとれないのだろうか,とも思います。とにもかくにも,この引用発言は重いなぁ,と思うわけです。

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