母親メッセージ系ラップに感じるものすごい違和感について
ヒンシュク買っちゃうかもしれないけれど,この頃流行りの母親メッセージ系のラップに,ものすごい違和感を感じます。具体的にどういうのを指しているのかというと,こういうの。
いや,「母親なんか大切にしなくていい」ってなことじゃないんですよ。そうではなくて,いきなり揃って感謝したり謝ったりしだしたことに,ものすごく違和感を感じるわけです。特に,以下の点はかなり疑問。
- なぜ単なる感謝ではなく謝罪もセットになっているのか。
- なぜ母親をを無敵の存在のように過大視するのか。
- そもそも,なぜ父親ではなく母親なのか。
母親を主題にした歌ってのはたくさんあるわけで,さだまさしの「秋桜」なんかは,超有名どころだったりします。けど,「秋桜」は年老いた母が娘を気遣う気持ちと,嫁ぐ娘が母を思いやる場面が歌われているわけで,感謝はあっても謝罪はない。あるいは,女の人が母親になった場面を歌ったもので,「自分の母親もこんな思いをしてたんだ,ありがとう」みたいなテーマってのもありますよね。いずれにしても,謝罪はない。
上の歌をひっくるめて要約すると,こんな感じになるんでしょうか。
昔はやんちゃしてたけど,今はありがたい。あなたはすごいよ。いままでゴメンね,ありがとう。親孝行するよ。
で,示唆するだけにしようかと思ったんですけど,ぶっちゃけると,ここら辺の傾向って,微妙にヤンキー的な要素を感じます。ここに言う「ヤンキー」というのは,『ケータイ小説的』にいうヤンキーにかなり近い意味でのヤンキーです。
原書房
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で?
すばらしいヤンキー文化論。ただしケータイ小説は読みたくならない。
著者の思いつきに過ぎないのでは
「コミュニケーションの檻」が生み出す「物語」
ケータイ小説の思想ヤンキーのモチーフとしてありがちなもの,というか,ヤンキーそのものテーゼには,「だからこそピュア」ってのがあると思うんですね。ヤンキー(社会のクズ(と自他称する人))「だからこそ」ピュアに殴り合いをするし,「だからこそ」ピュアに恋愛もする(ヤンキー漫画は意外と貞操観念が強い)。で,そのヤンキーが乗り越えるべき,最後の砦が家庭であり家族であり,(母)親なんじゃないかと思うわけです。この関係にどう折り合いをつけるかが,かなり重要な関心事になっているんじゃないか,と。
そゆことで,違和感の中身というのは,こうとも言える。反抗期の代表格みたいなヤンキーが,いきなり母親を歌いだすってぇのは,どういう風の吹き回しでぃ,と。演出的にはピュアに母親に感謝する,という意味をこめられるとも思うんですけれど,これはヤンキーそのものと整合するのか……。ここら辺に違和感を感じるわけです。
まぁ,流行りっぷりからすると,整合してるみたいなんですが。


