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マイノリティ論としての若者論

2008年09月30日

弾さんの話。半分くらい,そうなのかなぁ,と思います。

それと同じように早熟を強いられている今の若者はかわいそうといえばかわいそうではある。大人に文句を言っていれば格好がつくという時期が彼らにはほとんど与えられていないのだから。極論してしまえば、若者であることそのものを、今日日の若者たちは許されていないのである。

だからこそ、若者は主張しなければならないのだ。

404 Blog Not Found:じゃあオレが語るか - 書評 - おまえが若者を語るな!

たしかに,技術的・環境的な側面から見る限り,「若者」なるもんが認識しやすくなったってのはあるのかもしれません。コンピュータをはじめとしたハイテク機器に親しんでるのは若者,といったところでしょうか。ここら辺は,そうなのかなぁ,とも思います。

もっとも,ちょっと思うんですけれど,現代の技術を使いこなしてる人ってのは,世代に関わらず,もともとあまりいないんじゃないだろうか。つまるところ,弾さんにいわゆる「若者」というのは,かなりの程度「ギークとしての若者」といったところに重心が置かれている気がするんです。「ハイテクを使いこなす少数派かつギークとしての若者 vs ジジババ」という対立構図は,現実的な対立構図として成立するんだろうか。パソコン使えない若者も,結構いるよ。

一方,ここ数年,あたしが若者について考えているのは,オタクの話の延長線上にあったりするもんで,いわば,マイノリティ論だったりします。つことで,マイノリティというところに限ってみると,若者観は弾さんのそれと重なる。けど,あたしの場合,社会的な共通認識(コモン・センス)でもって連帯している「若者」といった若者観はなかったりします。

今はじめて自覚的になったんですけど,あたしが「若者」というときの若者ってのは,マジョリティとしての若者を指していません。そういうのは,大人。じゃあ,マジョリティとしての若者ってのがいるのかというと,あたしゃいると思うんですね。ほら,モテとかモテとか。

ここら辺の話は,女性論の文脈でパラフレーズすると分かりやすいのかもしれません。

知っての通り,女性論では「女性」がどんなもんなのか,ってなところから議論があったりします。「女性は存在しない」とか言っている人もいるくらい(ラカン)。一方,英米的な発想だと,セックスとジェンダーとかいった区別もあるわけだけれど,一旦大陸に持ち込まれると,「セックスとジェンダー」があるわけではなくて,「セックスという言説(ディスクール)」と「ジェンダーという言説」があるのだ(フーコー),とかなんとかになっちゃって,まぁなんですか,ごにょごにょなわけです。

んなもんで,マイノリティ論にはありがちな話なんですけれど,若者論においても,もう少し議論熱が高まれば「若者は存在しない」とかいう人が決まって出てくる,と思うんですね。けど,当面,実践的な話として肝心だと思うのは,その「若者」概念(言説)を使って,論者が何をしようとしているのか,だったりする。

ここからは個人的な戦略の話ですけれど,こうしたマイノリティ論ってのは,その話自体がメジャーになってしまった段階で,マジョリティに取り込まれて去勢されてしまうもんなんだと思っていたりします。マイノリティは,マジョリティから見られてはいけない。そうした意味で言うと,今時のオタクブームなんかに乗じて,テレビで踊ってるようなのは,少なくともオタクとしては去勢されているんだと思っていたりする(マイノリティが去勢されるってのもアレなんだけど)。

弾さんにいわゆる「若者」は存在するのか。おそらく,この水準からして,政治が始まっているんだと思ったり,思わなかったり。

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