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ロスジェネ話と競争の倫理

2008年10月21日

前回の続き……というか,『ロスジェネ 別冊』の感想です。

ロスジェネ 別冊 2008―超左翼マガジン (2008)

ロスジェネ
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本書は,ロストジェネレーションの労働問題を中心にしたシンポジウム録が2本と,秋葉原の被疑者の BBS への書き込みが全文掲載されています。シンポジウムの内容は,やはり福祉国家的な路線に戻りましょうよ,という話が基調になっていて,まぁ「超左翼」ってことは,やっぱりそういう路線になるのかなぁ,とか云々。

と,ここで,ちょうどいい具合に関連するニュースがあったので,政府の対応も見てみます。

厚生労働省は21日、雇用対策として年長フリーターらを新たに正社員として雇う企業に対し、1人あたり50万~100万円程度の助成金を出す制度を作る方針を固めた。3年程度の時限措置とする。与党も同様の方針を固めており、政府が今月中にまとめる追加経済対策に、若者の雇用対策の目玉として盛り込む考えだ。

asahi.com(朝日新聞社):年長フリーターの正規雇用、企業に助成金 厚労省方針 - 社会

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で凶器に使われたダガーナイフの所持禁止や、長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件で問題になった猟銃所持の許可要件の厳格化などを柱とする銃刀法改正案が21日、閣議決定された。衆議院の解散時期が不透明な中で審議入りは未定だが、治安対策を重視する姿勢を示す狙いとみられる。

asahi.com(朝日新聞社):ダガーナイフ所持禁止、猟銃許可厳格化 銃刀法改正案 - 社会

なんつかもう,対応なのかすらも分からない。何がやりたいんだ,この人たちは。選挙前のばらまきとガス抜きか。対症療法感丸出し。

で,本題です。

討論を読ませてもらって,赤木智弘氏は,平等を前提としたネオリベを地で突き進む方向と,社会福祉国家的な社会像を目指すことの間でかなり揺れている,というのが率直な感想でした。彼は,「『丸山眞男』をひっぱたきたい」のせいか,秋葉原の被害者に対する発言(下記引用参照)のせいか,一部でアナキズムの権化のような扱いを受けているけれども,こういうことを言う時は,大抵ネオリベ方面(自己責任結構,ただし力づくでも平等は実現する)に傾斜しているときなんだと思います。そして,このネオリベという「倫理」こそ,未曾有の得票率でもって支持された政権が掲げた主張だったのでした。

事件で亡くなった方たちの中で、年下の人はかわいそうです。しかし、年上の人や遺族は、こうした社会を作ってきて、放置してきた。だから自己責任だと思う。

「ある意味、バッシング万歳です」──秋葉原通り魔殺傷事件の「意味」と「背景」を赤木智弘氏に訊く(オーマイニュース)

ネオリベの主張なるものを,もう一度を確認しておくと,以下のような話です。

新自由主義(しんじゆうしゅぎ、英:neoliberalism、ネオリベラリズム)とは、市場原理主義の経済思想に基づく、均衡財政・福祉および公共サービスの縮小・公営企業民営化・経済の対外開放・規制緩和による競争促進・情報公開・労働者保護廃止などをパッケージとした経済政策の体系、競争志向の合理的経済人の人間像、これらを正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。

新自由主義 - Wikipedia

つまり,競争すればなんでもうまくいくんだよ。うまくいくもんに政府は介入しちゃいけないんだよ,という話だったのでした。これは経済学的な捉え方で,実際,ネオリベは経済学的に捉えるのが,本来的なところだったのでした。

しかし,生存をかけた競争においては,経済理論も倫理と密接なつながりを持つようになります。その最たるフレーズが,「自己責任」でした。経済政策的な意味での「自己責任」概念が「政治の言葉」として独り歩きしはじめたのは,2004年くらいから。このサイトでも,その違和感について(やや逆説的に)書いていました。

六本木ヒルズの自動扉で子供が死んでも,小学生が渋谷で拉致されても,みんな躾の問題。自己責任。危険で複雑な都心に行く人が悪いんです。あ,お年寄りのみなさんもそうですよ。誰も助けませんから,わりかし安全な巣鴨にでも行っててください。

銀行が倒産したら,自分で債権回収してください。国に頼るなんて甘いこと考えちゃいけません。バランスシートも読めない人が銀行と取引すること自体間違っているんです。預けてない人の税金をつぎ込んでることに,なんでこんなに鈍いかなあ……。みんなに迷惑かけないでくださいよ。そんなわけで,自己責任。

qune: 自己責任

今だったら,「オレオレ詐欺」に引っかかる人間も,自身の金銭管理ができない点で責任がある。お年寄りの注意を喚起するだけのためで,犯人を検挙できない場所(ATM)に警察人員を配置するような無駄なことはやめてください,みんなの税金なんですよ,とか言っているかもしれない。当然,秋葉原みたいな人の多いところに行くんだったら,自分の身は自分で守ってくださいね,自己責任ですから,ということにもなる。

とんでもない理屈だと思った方もいるでしょうけれど,実際これが2004年の空気でした。人も死んだ。こうした自己責任論の倫理が制度化され法制化されて,労働者派遣法も大幅に緩和されたのでした。つまるところ,政府が,「政府はもうアテにしないでください」「自分の力で生き延びてください」と,宣言したのがこの頃だったのでした。

で,また脱線しそうなので,本書の話。赤木氏が問題にしているのは,丸山眞男をひっぱたくこと,つまり自由の前提となっている機会の平等を求めること(流動性の高い社会を求めること)だったのでした。古典的な議論ですけれど,自己責任に基づく自由な社会なるもんが,平等の手当てなしに行われるとしたら,弱い人が死ぬに決まっています。スタートラインが違いますから。だから,社会福祉的な手当てが必要だね,という文脈はある。

ここで,戦争といった外部的な要因に機会の平等の希望を寄せるのか,社会福祉的な手当てを「なおも」求め続けるのか。この点で,赤木氏が逡巡しているように見えるわけです。本書で赤木氏は,機会の不平等に対して手当てを求めている。しかし,これは前掲のネオリベ方向とは逆向きです。

赤木 というか、お金の問題と希望の問題は、明確に分けて考えるべきだと思うんですよね。自分はあくまでもお金の保障が、まず前提としてあって、そのなかで、べつに絶望してようが何だろうが、ある意味どうだっていいような気がするんですよね。だから、少なくとも、自分が生きる意志さえあれば生きられるような状態をまず最低限保つことが、「憲法」25条あたりの生存権の話だと思うんですね。

『ロスジェネ 別冊 2008―超左翼マガジン (2008)』(ロスジェネ,2008年,p32)

個人的な話になるけれども,あたしの場合は,もう社会福祉国家なるもんに希望は見出せないと思っていたりします。その意味で言うと,あたしは赤木氏よりもネオリベを地で行っているわけで,過激な方面に傾斜している。

具体的には,「能力のある人が高い地位を手に入れる」(これは「能力のない人は死んでも仕方ない」ということでもある)というテーゼを前提にして,「能力が低いくせに高い地位を手に入れている人」を告発する戦略を取るということです(これは「能力のある人が低い地位にいる」ことを告発することでもある)。少なくとも,社会制度に対する所作の点ではそう振る舞いたい。

もちろん,身の回りで困っている人がいれば助けようとも思うわけですけれど,制度設計的に(つまり一般論として),古典的な左派が掲げるような社会福祉国家を実現することは,不可能なんじゃないかと思うからです。それこそ,本書で言うように,宗教のひとつでも作らなくちゃいけない。

なんつかですね。まぁ,いろいろと考えるところはあるわけです。けど,若年労働者問題と秋葉原の事件とは,いまだに結びついている感じがしないのも確かなわけです。

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