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本日のネットつれづれ - ネットが多様化するほど主体的に選択できなくなるジレンマ

2008年11月08日

選択肢が多様化すると,消費者が主体的に選択する機会は増え,自由が拡大する。したがって,選択肢が増えれば増えるほど,主体的な選択のあり方も多様化し,ますます選択肢が増え,よりハッピーになるはずだ。

たしか,ネットの黎明期……とまではいかないまでも,拡大する前の頃は,こんな話がありました。しかし,2008年の今になってみて,実際のところはどうでしょう。あたしには,ネット上のコンテンツが爆発的に増えているにもかかわらず,主体的な選択が行われていないように見えます。特に,SBM(ソーシャルブックマーク)のホッテントリなんかを見ていると,そう思う。大体が大手ニュースサイトのニュース記事だし,個人のサイトがたまに出ても,突発的に誰かの「選択」に便乗したために,ホッテントリになったものが多いように見えます。

もしかして,選択肢が増えることは,逆に主体的な選択の自由を奪うんじゃないだろうか。逆に不自由になるんじゃないだろうか。

似たような話で,さっきまで Scientific American の「The Tyranny of Chice」[PDF](選択の専制)って記事を読んでいたんですけれど,どうも選択の余地が増えることに対しては,昔ほどポジティブな評価はないみたい。要旨はこんなもん。

選択の余地が増えることは,必ずしも人を幸せにするとは限らない。なぜなら,ある選択をすることによって,他の選択肢を選ばなかった(選ぶことができなかった)ことに対する不満が残るからだ。この「選ばなかったこと」に対する不満を,機会費用(損失)と考えると,選択肢が増えることは(経済的に見て)必ずしもいいこととは限らない。

例えば,たくさんのシリアルの中から朝食を選ぶ場合,あるひとつ(例えばバニラ味)を選ぶということは,他のひとつ(例えばいちご味)を食べられなくなることでもある。この「食べられなくなること」は,機会費用(opportunity costs)だろう,とか,まぁそんな話です。

ネットの場合で見てみると,「選ばなかったこと」に対する損失は,あまりないんだと思います。もちろん,ネットに触れている時間には限りがあるわけですけれど,明日のただ1回のシリアルを何にするかとか,限られたお金の範囲内で何を買うかとかいった選択と比べると,それほど厳しい制限ではない(ま,あたしが貧乏で暇があるってことなんですが)。それよりはむしろ,選択肢が多いこと,そのこと自体が主体的な選択の機会を奪っているように思えます。

なぜ,選択肢が極端に多くなると,主体的に選択することが難しくなるんでしょう。あまり難しいことは考えられないので,特に SBM のそれについて直感と憶測で挙げると,大体次のようなことが原因なんだと思います。

  • 選択肢が増えすぎてしまうと,何を選んでいいか分からなくなる(選ぶのが面倒になる)。
  • 選択肢が増えると,「選ぶこと」の顕示(いわゆる見せブックマーク)の重要性が相対的に薄まるため,自己顕示の欲求を満たせなくなる。
  • 選択肢は増えるものの,ムラ的な同調圧力は残っているため,「周りの話についていくこと」に精一杯で,主体的な選択をすることにまで手が回らない。
  • SBM というシステムが,テレビ的な一方通行のメディアとして機能するようになったため,「与えられたものに対する反応」というように,コミットの仕方が変化した。

最後の理由は,選択肢が増えたこととはあまり関係がない気もするんですが。

古典的な経済モデルでは,多様なオプションを前にして,理性的かつ主体的に選択する消費者がアクターとして前提にされています。一時期前,ネットにまつわる経済モデル的な説明を見た気がするけれども(どこで見たか忘れた),おそらく,古典的な経済モデルで説明するには,多少事情が入り組んでいるような感じがします。

まぁ,ボチボチ思っただけです。はい。

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