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『日本語が亡びるとき』の感想が出てこないから書籍紹介の身振りについてゴニョゴニョ

2008年11月27日

『日本語が亡びるとき』を読んだから,感想を書こうと思ったんだけれども何も言いたいことが出てこない。文学評として無難というかアリガチな話を取り上げているので,別に何が悪いというほどのことでもありません。著者自身の立ち位置が「その(アリガチな)位置」に固まってるもんだから,「じゃ,その位置で頑張ってください」としか言えない。

で,そゆ感想というか呼びかけというかは,おそらく著者に期待されているところのものだと思うし,また本書には同じくそゆ位置にいる同胞に向けて書かれたもの,といったニュアンスも含意されているんだと思います。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房
売り上げランキング: 19
おすすめ度の平均: 3.5
2 日本語は不滅です、但し・・・・・・・
5 「叡智を求める人」必読の書
4 オモシロイ
5 推理小説よりスリリング
2 これは啓蒙書ではなく「作家のエッセイ」として読むべき本

しかし,なんで本書が薦められたのかについては,いまだに謎。そっとしておけば,同胞の間でそっと売れていたかもしれない本なのに,万人向けの本として取り上げてしまうとは。バズマーケティングってのは罪作りだと思う。

書籍の紹介というと,あたしも少なからずこのサイトで紹介しているんですけれど,基本的にこのサイトと関係のあること(つまり,あたしの関心事)に関する本しか紹介していません。それは結局のところ,その本を通じてこのサイトの言葉足らずな部分を補完してもらいたい,といった(わずかな)希望があるからであり,また,今の自分の関心事を特定の書籍に象徴させてみたい,とかいった動機があるからだったりもします。だから,悪本だと思われる本についても,関心事に関わる以上紹介している。他の個人サイト製作者さんも,大抵そうしているんだと思います。

そんなもんで,例えば,このサイトで本の紹介を「書評」としないのも,割と自覚的にやっていることだったりします。というのも,書籍を評するには,本を対象(外部にあるもの)として捉えなくちゃできないわけだけれども,サイトで紹介する書籍を,そういう位置には置きたくないからです。ここのサイトで紹介する書籍は,自分に寄り添いつつ,自分にまなざしを向け続けるものものとして取り上げたいとか思っている。抽象的でゴニョゴニョな説明になってるんですが。

実のところ,あたしの場合,このサイトで紹介している他にも「無害な」趣味の本は割と読んでいたりします。ラノベとかは紹介しきれないと思う。けど,んなもん紹介しても,象徴がどうとかとかいった話とは無関係ですしね(ただ読んでるだけだし)。まずもって,芸にならない。

ま,このサイトで紹介したレビューが芸になってるかっつと,それも怪しいんですが。

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